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このWEBサイトは生駒聖書学院創立者であるレオナード・クート師の当時の資料を保存、共有しています。聖書の学びの助けになれば幸いです。

日本伝道50年(昭和四十六年二月)

出合いと救い(山下 平七郎)

(2023-06-03)

或日、新世界のジャンジャン横丁を通り飛田通りにぬけようとした時、地下鉄動物園前の駅の所 からたいこの音がきこえて来ました。

何だろうと思ってのぞいてみると、一人の外人伝道師がアコーデオンを引きながら十字架にかたる”と十人あまりの人達と歌いキリストの話をして居りました。

「全て労する者、重荷を負う者、我に来れ、我汝らを休ません」と、これがクート先生を知った最初でした。
もし、クート先生が路傍伝道をしていなかったら私はこの救いの喜びを知らなかったでしょう。

先生の力強いメッセージを聞く度に私はもやされました。講壇の上に立たれた時の大胆さ、そのするどい目つき、しかし講壇からおりられた時の柔和な人柄、そして愛の人でした。長年の先生の生 涯を見る時どの様な小さな魂にも正しい言葉を使ってその言葉にも行動にもあやまりのない人だと思いました。

又、先生は機関車のような力のある聖霊の炎の器で、その働きは使徒的であったと思います。いつも小さな私を見ても話す時はやさしく愛の言葉を持って「山下兄弟、感謝いたします」と云う事が常でした。

私は思うに生涯のすべては主にあって喜びと感謝でなかったかと思います。最後にお会いした時 は、伝道の過労の為にたおれ、北野病院に入院しておられましたが、病床にある先生の顔に喜びと輝きは変りませんでした。

その時、私をはげます言葉を下さいました。「奥様、小供様はお元気ですか」と、それは家族が救われて信仰の家庭を持つようにとの言葉だったと信じて居ります。

先生は、講壇にある時、いつもご自分の家族の事をメッセージの中に入れておられました。先生 の家族は全部キリストに救われ、神の御用と奉仕をしているとのことでしたが、まず家族もろとも 主の栄光の為に献げた人だと思います。

そればかりでなく多くの魂を救いに導き、今でも多くの実 を結んで一粒の麦となって召されていった先生を思う時、私のたましいに感銘を与えた事はまちがいありません。

私も先生のように家族全部が心を一つにして神の栄光の為に証を成して行きたいと 思っております。最後に、「イエスが行い、又おしえ始めてから」”使徒一章一節"とありますが先生こそ、行い教えられた。実行の人であったと思います。

工場主

 

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