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このWEBサイトは生駒聖書学院創立者であるレオナード・クート師の当時の資料を保存、共有しています。聖書の学びの助けになれば幸いです。

日本伝道50年(昭和四十六年二月)

I.B.C(岡田 千代子)

(2023-06-03)

米国テキサス州・サンアントニオ市の郊外、美しい緑の芝生がとても印象的な静かな処にクート先生の墓地があります。一九七〇年六月四日ベル先生ご夫妻と共にクート先生の墓地を訪れました。

クート夫人の墓石には召された時、その枕もとに開かれていた詩篇十七篇十五節の御言葉がきざまれ、それと並んでクート先生の墓石にはImpossibility Becomeと刻まれていました。

私はこれを見たとき、実はクート先生のご生涯を表現していると思いました。いつか救霊会館の集会へ行く途中でチャレンジは日本語でどう訳したらよいかと質問されたことを思い出しました。

二十二才のとき石鹸会社の一速記者として日本に来られ、横浜で聖霊をうけて、神のご召命にあずかるに至るお話しは幾度も説教を通して聞いた事でありましたがサンアンニオの万国聖書学院にまいりました時、生駒聖書学院と余りにもよく似た感じを受けたのに驚きました。この二つの学院が同じ人によって、同じ方法によ って建設された事がよく納得出来ました。

信仰によって何もない処から一つ一つにおこされたことを知りました。恐らく韓国の聖書学院も同じことでありましょう。

クート先生に始めてお目にかゝったのは昭和二十五年四月、戦後再び日本で聖書学院を開かれるため来日された時でした。私はクート先生を通してペンテコステの集会を知りました。この先生には不信仰と不可能は少しも見出せませんでした。その躍動するダイナミックな集会に私は全く魅了され、聖霊にうえ渇きました。今日、この祝福を神が与えて下さった事を感謝しています。

クート先生の神の御言葉に対する深い悟りと全き信頼は どんなに私の信仰にも大きな影響を受けたことでしょうか。日本、米国、韓国において常に不可能が挑戦となって三つの聖書学院がおこされ、神の御働きが 今も続けられ、実を結んでいることは最も神に栄光を帰することでありましょう。

石切福音教会 牧師

伝道50年 目次

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