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このWEBサイトは生駒聖書学院創立者であるレオナード・クート師の当時の資料を保存、共有しています。聖書の学びの助けになれば幸いです。

日本伝道50年(昭和四十六年二月)

故 LWクート先生(郭 奉祚)

(2023-06-03)

追憶集委員会殿

恩師を追憶することに対し誠に有難くお礼申上げます。
長い間、日本の文章を書いたことがない為文章的な文法は合うはずがないと思いますが、大体の事を先生の精神に、生活に付き少し書き送りますから皆様が文法上直して発行して下されば幸いと存じます。
韓国のクート先生の弟子 郭 奉祚

「恩師クート先生への追憶」
故人となった恩師を追憶する時、四十余年前、私が若い二十一才の時始めて大阪の市岡教会の特別集会で逢いました。時に先生は元気いっぱいの熟辯と、生々とした信者達の働きに心動かされ私はペンテコステの信仰を持ち、後に生駒聖書学院創始当時に入学し第一回生八名が卒業する時は韓国人としては私一人でありました。

卒業生八名中、今世に生存する者は幾人か存じませんが四十余年を過ぎた今日恩師の弟子として古く残っている者は恐らく私一人ではないかと思う時、非常になつかしく思います。亦今日迄、ペンテコステの働きの内に於て働きを進めていると云うことを思う時、故人となりました先生の人格の影響を強く受けた者であることを疑うことが出来ません。
先生の人格に強く教えられ感化受けたことを伸べますと、

第一に積極的な人物
何よりも先生は中途はんぱな事は大きらいな方で御自分で全ての事につき徹底的になさる方でした。先生の主張する話の内でキリストの内には、成したわぬ事なしと強く話したことは今もその声が聞えるようであります。積極的な人物であるが為に色々障害が多く困難な内にも、日本、米国、韓国にペンテコステの教役者養成所である聖書学院を創設し、その事実が先生は召されても継続されていることは、先生の肉体が悪くなっても先生の使命は生きているので りこのことは真に讃美すべきことであります。
 
第二 勤勉なる人物
世界を支配した英国人である関係かどうか知り ませんが先生の勤勉には驚かずにはいられませんでした。私が生駒聖書学院に在学時には先生は元気いっ ぱいの壮年でその仕事はかぞえきれませんでした毎月、英文刊行物、日本文刊行物亦各種書類、毎日数百種の手紙、学院の授業、毎週の天幕伝道会 大阪、京都、奈良各地方の働き、毎夜十二時以後 に帰ってから寝らずに事務所にてタイプを打つ、 目をさまさせる為に運動場を走り廻っていたこと を良く憶えています。その精神を知らず知らずに私も受け今もその精神でやっていることを感謝する次第でございます。

第三信仰の人物
御承知の通り先生は米国に依頼する教派を持たなかったことを知っています。先生は英国のジョウジ・ミュウラーやウェスレー等の信仰の能力を受け何一つなくとも聖霊により、必要の為には信仰を持ってやり始め故に失敗はありませんでした。生駒の土地を買い数年間建物を建てることが出来なくて色々な誘惑があっても信仰に立って動かず前進に前進する信仰が、東、西洋に先生の仕事が今も続いていることは感謝すべきことであります。

第四真理に強い人物
事業繁栄のためには多く妥協するのが普通でありますが先生はいかなる困難があっても聖書的真理のためには一歩も譲らず真理に立った人物でありました。先生が強く教えられた教えに「真理を売買すべからず」とあり今も教訓として残っていることは感謝に堪えません。

第五倹素な人物
質の祝福された米国の人々の生活に比較するには先生はあまりにも倹素の生活であったことは誰しも認めるのにちゅうちょする者は恐らくないでしょう。韓国の学院建立する時に、板の切端をすてたのを先生がひろい集めているのを神学生等が訳も知らずに老人のことと笑う者もおりましたが、先生の倹素の生活は、神の物を貴く取扱う精神で、五つのパンと二匹の魚で五千人を食べさせ残った物を集めるキリストの精神を強く受けた人物として 教えられた事を感謝する者であります。何よりもペンテコステの精神、即ちペンテコステの思想に強められた者として以上の五点をもって先生の追憶をする者であります。

韓国 中都聖書神学院々長 牧師

 

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