哀歌

哀 歌

1、表 題 

A、(哀歌)=哀悼、嘆き、泣くこと。

B、哀しみの書巻

2、著 者:

 涙の預言者エレミヤによって書かれた。彼はユダの家に対して預言し、またエレミヤ書も書いた。

3、年 代:

A、エゼキエルの務めは、ヨシヤ王の治世に始まり、エホアハズ、エホヤキム、エコヌヤ (エホヤキン)

  そしてユダの最後の王となった。セデキヤの支配の後に終わる。約66年間(B,C,626年ー560年)

  にわたっている。

B、エルサレムの陥落の直後、約B,C,586年頃に書かれた。

4、鍵 語:

A、シオン………………………………………………………15

B、悩み、悩ます、憂い、苦しみ…………………………… 9

C、エルサレム………………………………………………… 7

D、荒れ果てる、荒れすさむ、しおれる、荒廃、………… 7

鍵句:

A、(神である)”主は……される。…………………………14

B、人の子………………………………………………………………… 93

5、鍵 節:

  1:12、 2:17

6、目 的:

A、預言者を通して、エルサレムの上に神の心の悲しみ、哀悼を連続して表現するため。

B、エルサレムの苦悩と荒廃を記録するため。

7、メッセージ:

A、神の律法に対する不従順の罪は、神御自身の選ばれた民であっても、神の怒りと荒廃をもたらす。

B、神は御自分の民を愛し、あわれまれるが故意に強情で不従順な人々を、懲らしめなければならない。

8、アウトライン:

Ⅰ、第1篇……エルサレムの苦境……………………1章……町

Ⅱ、第2篇……エホバの怒り…………………………2章……神殿

Ⅲ、第3篇……エレミヤの悲しみ……………………3章……預言者

Ⅳ、第4篇……エホバの怒り…………………………4章……国民

Ⅴ、第5章……エレミヤの祈り………………………5章……祈り

9、まとめ:

 哀歌は、五つの詩から成っている。

 1〜4章はアクロステックである。各部の頭が連結したヘブル語のアルファベット22字の中の一字で始まっている。

 それらのそれぞれの詩は、災い、神の裁き、そして悲しみに言及しており、第4番目を除いて皆懇願の祈りに終わっている。第5は詩は、完全にとりなしの祈りである。

 エレミヤの哀歌は次の四つに関係がある。

A、ユダの国民  B、ソロモンの神殿  C、エルサレムの町  D、パレスチナの地

 10、キリストの現れ:

 キリストは、とりなしをする涙の預言者、悲しみの人、ユダ、エルサレム、神殿、そして国土の荒廃を悲しむ者として表されている。(ルカ19:41〜44、ルカ21:20〜24、マタイ23:37〜38、

マタイ24:1〜4)。

エレミヤ哀歌

エレミヤ哀歌

 

Ⅰ、性格

 A、鍵語 罪による不幸と神の憐れみ。

 B、鍵句 3:22 私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。

               主のあわれみは尽きないからだ。

 c、大要 

名称、原語ヘブル語によると本書の名称は巻頭の言をもって呼ばれている。

        ああ哀しいかな

      エレミヤ7:29 哀哭

      アモス 5:1  哀歓、

      サムエル     哀歌

  ギリシャ語訳の序文は実感に溢れて素晴らしい。

『イスラエルの虜囚にうつされた後エレミヤは荒廃の都に座し涙にくれてこの哀歌を作りエルサレムを悲しめり』

 西暦紀元前586年に於けるユダ王国の滅亡(列王下24章)ネブカデネザルによるエルサレム包囲と

その破壊と民の苦悩と虜囚とを題材として書いたものである。ユダヤ人が選民でありながら、背き、罰せられその山や野を涙に暗れながら眺め歌った歌である。

Ⅱ、著 者

 ギリシャ語訳では、はっきりエレミヤと記されている。日本語では一度もエレミヤということは書かれていない。人によるとエレミヤではなく他の人だという人が、ギリシャ語にははっきり記されているしギリシャ語は原文ヘブル語によっているのである。日本語訳も書く時にエレミヤが書いたことはと当然のことだと思ってエレミヤという名を入れたのであろう。

 他の文にもエレミヤであることが示されている。列王下35:25、

   アブラハムがイサクを捧げた山—–モリヤの山

   サラの死体を埋めた所————カルバリ山

   エレミヤが哀歌を書いた所——カルバリ山

   イエス・キリストの十字架——-カルバリ山

Ⅲ、他書との関係

 イエスの言『あゝエルサレムよ、エルサレムよ』

 雅歌—–教会とキリストの愛の交わり

 哀歌—–認罪と悔い改めの涙なくしてはあり得ない。

 雅歌—-エルサレムを賞賛

 哀歌—-エルサレムの破壊を見て呪う。

Ⅳ、分 割

A、エルサレムの苦悩と荒廃—–1章

1、悲劇的なエルサレム——-1〜7章

2、エルサレムの大罪に対する神の正義な審判—-8〜11節

3、行路人への切実な哀悼と同情の懇望−—–12〜19節

4、神に対する哀願の祈祷—————20〜22節

B、罪に対する神の激怒——-2章

1、エルサレムの方位と滅亡——-1〜14節

2、往来の人々の嘲笑と罵倒による苦悩と絶望——15〜17節

3、神に対する救助の祈祷——–18〜22節

C、神の憐れみによる救いの希望——-3章

1、エレミヤの悲観と希望———1〜36節

2、神の正義の審判————-37〜39節

3、同胞に対する悔い改めの勧告—–40〜54節

4、神への切実な哀願の祈祷———-55〜66節

D、悲劇のエルサレム包囲と恐怖——4章

1、シオンの過去と現在の対比———1〜10節

2、宗教指導者の不信仰と堕落ぶり——-11〜16節

3、絶対絶命の状態———–17〜20節

4、エドム人への宣告———21〜22節

E、神の憐れみに哀願———5章

1、エルサレムの崩壊と虜囚の悲惨———1〜18節

2、すみやかな救助の哀願————-19〜22節

 

ⅴ、使 命

A、罪はただ罪のままで終わらない。後で必ず呪いを招来する。ロマ6:23節上半句

 『罪からくる報酬は死です。』

  されど神のあわれみは永遠に絶えない。

 『しかし、神のくださる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠の命です。』

B、聖書中最も哀愁を帯びている。

  神の愛のムチ(3章)25:26:〜36、40章

ⅵ、教 訓

 4章 過去のシオンの盛況

    現在のシオンの破壊

    御教会への教訓

  

   4章11〜16節

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