不可能を可能に(栗谷 尚)

私が始めてクート先生にお会いしたのは、昭和二十五年九月であったと記憶しています。其はクート先生が戦後始めて日本に帰って来られて、聖書学院を再開された当時でした。

クート先生は、他の宣教師方とは大に異ったタイプの方でした。先生は性格は戦闘的で極めて意志強固な人であると思われました。其は強い信仰の持主であったからでしょう。

先生の信仰と伝道の歩みについては、先生自身から、或は他の方々から色々聞きましたが、絶対 不可能の現実に直面しても、信仰によって不可能を可能にしたと云う類の物が大部分でした。だからこそ生駒聖書学院を創設し、各地に教会を建設し、救霊会館を建てることが出来たのでしょう。

日本のみならず米国、韓国にも聖書学院を創設したのは、先生の大きな功績です。先生は開拓伝道をして、一教会を建設、牧会して事足れりとする人ではなく、聖会の標語にした事もある様に、「本州、四国、九州、北海道、地の極まで」伝道するのが目標でした。召される前の最後の言葉が「前へ進め」 であったと言うあたりは、いかにも先生らしい所です。

丁度、幌馬車を駆って、アメリカ大陸を横断して、西部へ突進した開拓者的な荒っぽさが先生の持ち前だったので、聖者的な慈愛深さを先生に求める事はおおよそ不可能な事だったと言えましょう。私は彼の使命は道なき所に道を開き、曲りたるを直く、険しきを担らかにする所にあったと思います。

先生の後に続く牧師、伝道者諸君が彼の労をむなしくせず、善き働きをして居られる事を心から喜ぶ者であります。更に一言付け加えるならば、私は「本州、四国、九州、北海道地の極までも」と云うパイオニヤ・スピリットを教えられた事を感謝して居ります。

私に其を教え、そういう道に歩ませたのはクート先生とオズワルド・スミス先生でありました。

単立教会 牧師

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