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このWEBサイトは生駒聖書学院創立者であるレオナード・クート師の当時の資料を保存、共有しています。聖書の学びの助けになれば幸いです。

日本伝道50年(昭和四十六年二月)

救霊に霊に満ちた人(為房 田鶴子)

(2023-06-03)

生駒の山々は今年も紅葉して美しい、聖書学院を愛し、日本人を愛しペンテコステの恵みを宣伝えて、生命の限り主に従われたクート先生は今は亡い。

ダニエル書十二章三節「賢い者は大空の輝きのように輝き、また多くの人を義に導く者は星のようになって永遠にいたるでしょう」

風貌魁偉と云うと少し大げさになるかも知れないけど、確かに凡てが巨星と云うに相応しいお方であった。花と音楽とおいしい食事がお好きであったが、決して溺れることなく、自制され御自分に厳しい生活をして居られたので、自分を甘やかし勝ちな私にとってどんな厳しい取あつかいを受け叱られても、たゞ頭を下げる外はなかった。

訓練者、信仰の人、聖言と聖霊に満ちた人、特に聖霊の導きを知る人、多くの試練に合われた人間の弱さを知っている人、何時も勝利ある人、どれだけ並べて書いても切りがない思いがする。

暗から光へ出るには訳の分らない道を聖霊の導きに従って歩むしかないことを今から十八年前聖書学院へ入学四ヶ月目に聖書が分らない、聖書学院そのものが、これが愛を説く学校なのか、クート先生の人格、自分自身の将来等々、分からないづくめの私に昔のガレージに下る夜道を私の前を歩きながら危険な場所に来るとトントンと足をふみ鳴らしながら語って下さった。

この教えられたことが学院での苦しい三年間を支え、今も明日のことが分らなくても聖霊の導きに従って主に凡てをまかせて歩むことの大きな指針になっている。牧師としてとても人前に出られないと思われる試練に会い絶望のどん底からようやく勝利して、学院でクート先生にお目にかゝった時「あなたの 試練は家族を通して来るだね」とやさしく云われた。

その一言がどんなに大きな励ましになったことか、涙を見せまいとうつむいた私の心に、寛容とは試練に会っている者を審かず受入れて慰めること知らされたのだった。誰が何と云おうとイエス様とクート先生は私を知っていて下さる。今立たせて頂いている立場をおりてはならないと決心して帰るのだが、それから後も度々の家族を通して来る試練に迷うことがなく、絶望的にならずクート先生のおっしゃった言葉は私にとって聖霊の賜物のうちの智恵の言葉であった故に私を励まし続けているのだと思っている。

お世話になり教えをうけた宣教師や学生の多くの人々が、去って行かれても一度だけ「クート先生も今度だけは悲しそうだな」と思ったことがあったが愚痴一つ聞いたことがなかった。そして、その人等が生駒に来られると喜んで受入れられた私も今日牧会生活のうちに、何度も淋しい思いをして来たけれど、ペテロや他の弟子に逆かれたイエス様とクート先生のことを思うとき、私の悲しみなど物の数ではなく「エホバ与え、エホバ取り給う、エホバの御名はほむべきかな」と云わざるを得なくなってョブの信仰と忍耐を学ばせられている。

何時迄も青年のように、おじいさんもつかいは厭がられたクート先生も晩年はすっかりやさしく なられ、肉体の弱りも少しはもらされるようになられたので心配していた矢先、恐ろしい発作が来て入院され、それでもまだなんともないだよと私たちを安心させようと心をつかわれた。

病院で一週間お世話をさせて頂き、最後に裸の人間としてのクート先生に親しく接して見てもやはり最後の最後まで偉大な神の人クート先生であったとしかいう以外の言葉を知らない。

心からの感謝を一粒の麦となられ多くの果を結ばれた先生に天国で又お会いして上げようと思っている。

花園キリスト教会 牧師

 

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