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バンクーバーからの近況報告

(1)美しかった紅葉が過ぎ落ち葉の季節

(2006-11-3)

主のみ名を賛美いたします。

こちら、美しかった紅葉が過ぎ落ち葉の季節となっています。
街路樹の落ち葉で敷き積もった歩道を歩くと、サクサクと音がします。
それがなんとも晩秋の風情を感じさせてくれます。

いつもの皆様のお祈りを心から感謝いたしております。

先日、アリゾナのフェニックスへ行ってきました。フェニックスは大変遠かった。アメリカの南の果ての町でした。風光がバンクーバーのそれとは全く異なって おりました。砂漠の町だけに日差しは強く、乾燥しきっておりました。しかし居住区は灌漑用水が行きわたり緑が豊かそしてブーゲンビリヤ等の南国の花が美し く咲いておりました。

当地の日系人教会の佐々木牧師に案内されて、サウスマンテンの頂上に登りました。そこからは、広大な砂漠の大平原を眺めることができました。私はこんなパ ノラマティックな景色を見るのは初めてでした。周囲が山に囲まれたいわば盆地なのですが、とてつもなく広大なしかも真平な台地、その台地の中にいくつもの 町々があり、その中の一つが200万都市のフェニックスがあるのです。その台地の真ん中に空港があり、飛行機が発着している様子が小さく見えます。登って きた山の山腹にはサボテンがにょきにょきと立っています。

サボテンといっても直径が1メートルほどもあり、高さは20メートル以上もあり、近寄るとはるか見上げるほど大きな物です。いたるところにこのサボテンが 屹立しており、ひょっと見ると、車のナンバープレートにもこのサボテンがデザインされているとは驚きでした。まさにアリゾナの象徴です。このサボテン一つ の枝を出すのに50年はかかるとのこと。だから、大きな物は樹齢千年以上になるとのこと。そんなのが砂漠の荒地にニョキッと立つておるのです。のんびりし たもんです。それを通うり越し何かこっけいに思えてきました。

佐々木牧師と共に山頂に立って、このフェニックスの町に5千人の日本人がいると聞き、思わずこの日本人のために祈らざるを得なくなりました。

日曜日の朝、声を出そうとしたところ、全然出ないではありませんか。これは困った、礼拝メッセージができない。湿度が10度から20度、乾燥しているので す。不覚でした。しかし皆さんの祈りのお陰で、何とかメッセージもサキソホンの演奏もできました。三日間で4回のメッセージとサキソホン演奏会をいたしま した。ピアノ伴奏は佐々木牧師の長女“望さん”でした。望みさんのピアノはとても上手で心こもった伴奏をしてくださいましたし、聞いて下さった方々が一生 懸命聞いてくださたので、私も力いっぱいでき、とても盛り上がった集会となりました。集会後の交わりの中でいくつものすばらしい出会いを経験させていただ きました。

私のことが、フェニックスの日系月刊誌に紹介されておりましたので、それを見て、来てくださった方々がおりました。その中で、当地でリアルエステイターを している方が、“先生は豊橋出身ですね、私もソウです。もしかしたら、高校は時習館では”“そうですよ!”“それでは中学は中部中学”“そうです!!” “ソンなら小学校は松山小学校”“そうそう同じ!!!”“それなら、住んでいた所は小田原町?私は西小田原町”“私は東小田原ですが!!!全く奇遇です ね!”こんな地の果てのようなフェニックスの町で同郷、同窓の人に会えるとは!三河弁の話は弾みました。

もう一つ。私が脱水症で倒れたとき の話をメッセー ジの中でしました。その中で幾つかの医学用語を使い、神様の創造のすばらしさを語りました。集会後一人の立派な紳士が来て、「私はこの地で医者をしており ますが、」と言って自己紹介をしてきました。私は医者が居るとは知らず、えらそうにも医学用語を使ったことを恥ずかしく思って、何を言われるのか不安がよ ぎりました。

「先生、先生のおっしゃる通りです、医者をしているので人体の仕組みの絶妙さには、驚嘆を覚えておりました。創造主が居るに違 いないと、かね がね思っておりました。今日先生の話を聞いて本当によく分かりました。これから、聖書を学んで行きたいと思います。」と求道の決心をしたのでした。

この方は、慶応大学医学部を出て、整形外科医として10年間日本で働き、アメリカに医学研修に来て、アメリカの医学に接し、一念発起しアメリカでまた医学 を学びアメリカの医師免許を取得し、今ではフェニックスで開業医をしているとのこと。大変な努力家であると同時に謙虚な科学者でもあります。奥様も息子さ んも一緒に集会に出ておりましたこれから家族で教会に来ると言っておりました。

このような日本人がクリスチャンとなれば日系社会に大きな証となるに違いありません。

4日間にわたるアリゾナへの旅でしたが、私なりに一生懸命やることができ、数々のよき出会いも経験しました。こちらバンクーバーに帰ってくると、声も出るようになり、声が出なかったのがうそのようでした。

あのフェニクスの地でも佐々木牧師始めその教会員の皆様が日系人伝道に励んでおります。私もこの地バンクーバーでさらに励まなければならないと思っています。さらにお祈りください。 

主にありて、バンクーバー村松勝三

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