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礼拝メッセージ

病人をなおす

(2019-07-22)

主題   病人をなおす                    
     イエスは病人をいやす力をもっておられます。
聖句=わたしは主、あなたをいやす者である。(出エジプト15章26c)
聖書箇所=マルコ2章1ー12節、
* 出エジプト15章26節の前半では、主の声に聞き従い、主のおきてを守るべきことを強調し『わたしはエジプトに下したような病気を何一つあなたの上に下さない』と約束されています。後期ユダヤ教になるとこの言葉が『病気は罪の報いである』と考えられるようになってきます。(ヨブ4・7、詩篇73篇、ヨハネ9・2、)しかし、ここで強調されているのは、このような因果応報思想ではなく、主なる神の主権と力とです。
『わたしは主、あなたをいやす者である』とは、イスラエルを守り、いやし、祝福するという意味です。そのことを最もよく現されたのが主イエスであり、多くの人々の罪をゆるし、病人をいやされました。特に、中風のいやしにおいては、罪のゆるしと病気のいやしが密接に結びついて行われ、イエスにはその権威と力があることが実証されているのです。
*イエスの奇跡は、神の人が人間の世界に来たことを告げ、イエスがメシヤであり罪をゆるす権威のあるお方であることを宣言しています。この中風の人のいやしでは、病気のいやしと罪の赦しが微妙にからみ合いながら叙述されています。


一、奇跡は信仰による(マルコ2章1ー4節)


 イエスがカペナウムに来られたことを知れ渡り、一人の中風の人が四人の者に担がれて来ました。彼らはイェスに近づくことができなかったので、屋根をはがして病人をつり下ろしたのです。乱暴で非常識だと非難されてもしかたのないふるまいでした。ところが、イエスは彼らを叱るどころか『彼らの信仰を見て』称賛されました。
 彼らは、イエスに対する信仰の故に中風の人を連れてきたのであり、乱暴と思われる行為にも出たのです。信仰は、
イエスに対する絶対の信頼であり、それが病人をあえてイエスのところに連れてこさせたのです。その信仰が、イエスのよる奇跡となったのです。


二、奇跡は罪をゆるす。(5−10節)


 イエスは中風の人に『子よ、あなたの罪は赦されました』と言われました。それを聞いた律法学者は『神おひとりのほか、だれが罪を赦すことができよう』と心の中でつぶやきます。ユダヤ人の伝統的な宗教観念からすれば、唯一の神だけが罪を赦すことが出来ました。しかし、彼らには、イエスに対する認識と病める者へのあわれみが欠けていました。
 そこでイエスは『中風の人に『あなたの罪は赦された』と言うのと『起きて、寝床をたたんで歩け』と言うのと、どちらがやさしいか』と問いかけられました。罪がゆるされたということばだけであれば、現実に病人をいやすよりやさしい。しかし、真実に罪を赦すことは、奇跡を行うより難しい。イエスは、罪を赦す権威を持っており、そのしるしとして中風の人をいやされたのです。彼は真実のメシヤであり、罪を赦すことのできる方でした。


三、奇跡をあかしする(11、12節)


 イエスは中風の人に『起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい』と言われました。すると、その男はすぐ起き上がって床を取り上げ、皆の見ている前で出て行った。この出来事は、衆人環視の中で行われ、多くの人が目撃しており、誰も否定できない出来事でした。
 言葉と違い、事実は誰も否定できないあかしです。それを見た人たちは『こういうことは、かつて見たことがない』と言って、神をあがめた。マルコは、この奇跡を通して、イエスがメシヤであることを力強く立証しようとしています。実際、福音書を読むと、イエスは多くの奇跡を行い、民衆が大きく反応を示していることがよく分かります。それは彼が超能力を持っていたことを誇示しようとしているのでなく、神から遣わされたメシヤであることをあかししているのです。イエスをキリストと信じる者となりましょう。
(祈りましょう)

 

関連聖書箇所:マルコ福音書

福音の出来事:中風の人のいやし

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