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礼拝メッセージ

十字架

(2013-03-24)

『(キリストは)自分から十字架の上で、私達の罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。』           (?ペテロ2章24節)


一、十字架の周囲の人々(マタイ27章33−44節)
 ピラトの兵士たちは、処刑場であるゴルゴタの丘についてから、主イエスに苦味のあるぶどう酒を飲ませようとしました。これには苦しみを和らげる薬が入っていましたがイエスはそれを舐めただけで、飲もうとはなさいませんでした。これから受ける十字架の刑罰の苦しみを、真正面からきちんと受け止めようとなさったのです。イエスを十字架につけると、兵士たちはくじを引いてイエスの着物を分け合いました。十字架の上には、イエスを馬鹿にしてあざ笑うために『これはユダヤ人の王イエスである』という罪状書きを掲げました。道行く人々は、口々に罵り声を浴びせ、祭司長や律法学者、長老たちも一緒になってあざけりました。42、43節を読んでください。イエスの隣で、同じように十字架につけられた強盗までもが、主イエスを罵りました。大勢の人々の罵声を浴びながら、主イエスはただ黙っておられました。決して言い返したり、反論することなく、私たちが当然受けるべき罪の苦しみを、ご自分が全て背負われたのです。

二、主イエスの死(マタイ27章45−52節)
 昼の12時から、突然あたりが真っ暗になりました。この暗闇は何時間も続きましたが 午後3時頃主イエスは、沈黙を破って大声で叫ばれました。46節を読んでください。十字架の上で負われた肉体の苦しみは、私たちの想像を絶するものです。しかし、それ以上に、イエスを苦しめたのは、父なる神が御顔をそむけ、イエスをお見捨てになったことでした。罪からくる審判は、神との関係が 絶たれることです。それは絶望以外の何ものでもありません。これこそ罪からくる苦しみの極みなのです。主イエスは、暗闇の中で、この苦しみを、私たちに変わって味わいつくされたのでした。
 しかし人々はそのような主イエスの御心をまったく理解できず『エリ、エリ……』ということばの響きから、イエスが預言者エリヤを呼んでいるのだ、と勘違いしました。イエスは、もう一度大声を上げて息を引き取られました。
 その時、神殿の幕が上から下まで二つに裂け、地面が揺れて岩が避けました。これは、イエスの死によって、私達の罪の贖いが完成し成し遂げられたことを意味しています。

三、百人隊長の告白(マタイ27章54−56節)
 主が十字架にかかられる様子、そしてその死を静かに見つめてたローマの百人隊長や数人の兵士たちは、非常な恐れを感じ『この方はまことに神の子であった』と告白しました。その場にいたほとんどの人が、主の苦しみと本当の意味悟ることはありま

関連聖書箇所:マタイ福音書

福音の出来事:十字架につけられる主

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