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このWEBサイトは生駒聖書学院創立者であるレオナード・クート師の当時の資料を保存、共有しています。聖書の学びの助けになれば幸いです。

クート師説教集

レビ記

(2007-01-24)

1、
かの有名なるベンジャミンフランクリンは「人間はすべての仕事の使用人でなければならないし、
一つの事の長でなければならない」と言った。
真に教養のある人という者は、どんな事についても何かを知り、
ある事についてはどんな事でも知っている人である。
クリスチャンの功人に関する限り、特に牧師たる者は、聖書に関してはどんな事でも知らなければならない。
一般の知識には興味があり、益するものであり、かつ重要であるかもしれないが、
クリスチャンの仂人にとって聖書については専門の知識を有し、マスターしていることが肝要である。

2、
もし聖書を初めから終わりまで読んだことのある人に質問されるならば
「私は決して初めから終わりまで読まなかったが、続いてもっと読んでいます」と答える。
私は3回、全聖書を読もうとしたが、いつもレビ記に来るとくじけてしまってついに断念してしまう。
創世記、出エジプト記と興味を持って読むがレビ記に進むと失望するのである。
この書を退屈な書であるということは完全にこの書の特質を損なっている。

レビ記を規則正しく読むように励まして、その心に関心を起こさせるには、
かくの如き書をいかにすれば良いか。単に走り読みをするならば面白くない。深く研究することが大切である。
読むことによって多少の安心を生じる。併し悟りが与えられるように専念して読む時、
この書は聖書中の最も興味深い書と変化するであろう。

3、
まず、この書に対する偏見を無くすることである。それについて次の如く4点ある。

(a)多くの霊的利益を得ようとしてレビ記に記されたすべての儀式と象徴をマスターすることは
不可能であるという考えは偏見である。

(b)レビ記の標準はモーセの律法と共に過去に過ぎ去ったもので現代とは無関係とする偏見。

(c)この書は見たところ厳格であり、また一見つまらないように見え、また変化が多いので、
その命令を守ることは困難という偏見。

(d)まだ落胆している者がある。創世記、出エジプト記では容易に主な概略が発見できるのに、
この書では上記の如き明白な概略が無いように思われるとの考え。

4、
ただし、どんな方法にしても、この書の研究をすると、先の4点は単なる偏見であり、
誤解であることがすぐに分かる。レビ記は霊的価値が充満している。
現代の生活に対する生ける声である。神聖なる人格の啓示はこの書独特のものであって、
明確な計画とぴったり組み合わされていて、イエスキリストを通して証明せられている。

この書より新約聖書に40回以上引証されている。
ゆえに、この書に対して確実な理解を持てば聖書に含まれているメッセージに対しての悟りに大いに貢献する。
そこで、この書に対する研究として次の如く3点に分けて研究する事が必要である。

(a)この書の主な目的
(b)この書の不変の価値
(c)この書に独特の見解と構成
(a)この書の主な目的

レビ記はイスラエルの民が神と交わりを持つ聖なる民として如何に生活すべきかを示すために記された書である。
すべての国民に神の贖いを示すために、高度の礼拝をするために、ご自身の民を準備することである。
罪深き民が如何にして潔き神に近づき、神を礼拝することができるか。
このためにイスラエルは神の聖潔を学ばねばならなかった。
それには3つの異なる方法によって示されている。

(b)多くの私物の制度において

実際的に明確に記されている。「血を流すことが無ければ罪の許しはあり得ない。」
この事は罪の重大性を示すものであって我々の心に深く銘記し、血を流すことにより、
神に近づくことができる者とされることを悟らせる。

(c)刑罰、律法を犯す者に与えられる。神の聖潔の不変性を強く宣べる。

(b)この書の不変の価値

(1)昔のイスラエルに対して語られたものであったも、今日の我らに対する神の性質の啓示である。神は不変である。

(2)また神と人との一切の関係の基礎となる根本原理の象徴的説明である。恰も現代と同様に昔においてもあった。
但し、当時の祭司職、礼物は現代においてはなくなっている。絵を見るように記述されている霊的事実は常に続いている。

今日、献物を通して示されているキリストの贖罪を思うことの重要性を悟らない多くの信者、教会がある。
併しキリストのはっきりしたこの書よりの引照によって確証され、また新約の著者達を感動させたことによっても確証される。

(3)レビ記は象徴と型の教えの宝庫と言うことができる。
特別の象徴のうちに大いなる霊的真理がある。
この書の中に新約の契約の事実が型として例解されている。
この点においてレビ記はキリストに先立ってキリストを著した書である。

又この書は絵本であると言える。神の子の祭司的働きを通して罪人の救いの道が示されたり、
また一人の贖われた人として彼の現在、未来の立場と異言について示されている。
又この書には、ある大いなる預言が含まれている。

それは、まだ成就されていない未来に関する事である主の祭り、例えば過ぎ越しの祭りとかペンテコステの祭りの如く、
すでに成就されたことについて記されてあるが、他のものは未来の事であって必ず起こることである。
例えばイスラエル国家の罪に対する贖いの日の如きである。

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