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このWEBサイトは生駒聖書学院創立者であるレオナード・クート師の当時の資料を保存、共有しています。聖書の学びの助けになれば幸いです。

礼拝メッセージ

ペンテコステ

(2012-05-26)

  私たちの福音があなたがたに伝えられたのは、ことばだけによったのではなく、
力と聖霊と強い確信とによったからです。      (?テサロニケ1章5節)

一、天から来られた聖霊(使徒2章1—13節)
『五旬節(ペンテコステ)』というのは、収穫を祝うユダヤ人の祭りで『過越の日』から50日目に行われました。各地に散らばっているユダヤ人たちが、この日にはエルサレムに集まって来ます。この日に、ペテロや弟子たちの上に『聖霊』が下ったのです。聖霊は、目に見えない神です。イエスが天に昇られた後、信じる者たちに力を与えるために来られたのです。(ヨハネ14章26節参照)
 それはどんな様子だったでしょう。2ー4節を読みましょう。『激しい風が吹いて来るような響き』が起こり『炎のような舌』が現れました。耳で聞いても、目で見ても、本当に不思議なことが起こったのです。その上、弟子たちが他国の言葉で語り出しました。周りの人々は、ただ驚くだけでした。こうして、約束の聖霊が、弟子たちに下ったことがはっきりと公に示されたのです。そしてこの後、今に至るまで、聖霊は、罪を悔い改め、イエスを信じ求める者すべてに与えられるのです。

二、イエスのことを伝えるペテロ(使徒2章14—36節)
 私たちはは皆よわ弱さを持っています。特に人の前で人の前でイエスを信じていると云うのは、勇気のいることです。ペテロも、人の前で、主を知らないと云ってしまいました。ところがどうでしょう。14節のペテロをの姿をみると、まったく別人のようです。聖霊に満たされたペテロは、大勢の人々の前でイエスを述べ伝えたのです。
 ペテロはまず、この日が預言者ヨエルが予言した偉大な救いの日であると語ります。そして、イエスこそ旧約聖書で言われているメシヤ(救い主)であると語ったのです。人々はそのメシヤを十字架につけて殺してしまいました(23節)。しかし、31、32節を読みましょう。神は、イエスを死からよみがえらせたのです。この力強い、確信に満ちたペテロの説教は、ペテロの力ではなく、聖霊の力によるものでした。聖霊は、真理を悟らせ、語らせてくれるのです。終わりに、ペテロは『今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです』と人々にはっきりと宣言したのです。私たちの心に罪をはっきりと示してくれるのも聖霊の働きなのです。

三、主を信じるようにすすめるペテロ(使徒 2章 37—42節)
 ペテロの説教を聞いていた人々は、厳粛な気持ちになりました。そしてメシヤ(救い主)を殺したという罪を知らされて『私たちは、どうしたらよいのでしょうか』と真剣に尋ねたのです。
 38節には、罪から救われる方法が語られています。それは、悔い改めてイエス・キリストを信じることです。そしてその結果としてバプテスマを受けることです。イエスを信じる時、賜物として聖霊を受けるのです。ペテロは、さらに、イエスを信じて救われるようにと人々に勧めました。すると三千人もの人々が悔い改めて、イエスを信じました。そして弟子たちの仲間に加えられたのです。41、42節を読みましょう。
 聖霊は、私たちを助けるために来られた神です。私達もイエスを信じるなら、聖霊を受けることができます。弱いペテロを力強い説教者にしたように、聖霊は私たちにも、力と勇気と励ましを与えてくださいます。

* 5月27日 ペンテコステ   *聖書箇所=使徒 2章1ー 42節

関連聖書箇所:使徒行伝

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