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このWEBサイトは生駒聖書学院創立者であるレオナード・クート師の当時の資料を保存、共有しています。聖書の学びの助けになれば幸いです。

礼拝メッセージ

神の家族

(2012-06-03)

あなた方は、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり神の家族なのです。(エペソ2章19節)


* 聖書箇所=エペソ2章11ー22節、使徒10章

一、キリストの十字架の目的 (エペソ2章11ー16節)
 この箇所で注目したいのは『和解』ということばです。誰と誰の和解を指しているのでしょうか。ここでは、二つの組み合わせがあります。一つは神と人間の和解です。神は正しく、きよいお方ですそれに対して人間は、罪ある汚れた存在です。この二つは水と油のように混じり合うことができません。ですから、どうしても人間の罪が罰せられ、解決される必要があったのです。そして、イエス・キリストは、私たちの罪を取り除くために、私たちの身代わりになって十字架上で私達が受けるべき罰を受け尽くして下さいました。私たちは十字架を信じることによって罪にない者と認められ、神と和解し、大胆に神に近づくことができる者となるのです。
 第二の組み合わせは人間と人間です。罪は、人間の間に分裂と争いを生み出しました。
 ユダヤ人と異邦人の間には古くから深刻な対立がありました。ユダヤ人は自分たち以外の民族を異邦人と呼んで軽蔑していました。エルサレムの神殿には決して入ってならない場所がありました。
夫婦、親子、嫁と姑、兄弟、教師と生徒、経営者と労働者、階級、民族、人種、国家……至る所に争いが広がっています。イエスの十字架の救いは、それらの『敵意を廃棄』するためでした。

二、十字架の福音の宣教(エペソ2章17、18節 使徒10章 )
 十字架の福音は平和をもたらします。そしてイエスご自身がこの福音をだれかれの隔てなく宣べ伝えられたのです。ところが、イエスが天に帰られた後、十分にイエスの心を理解していなかった弟子たちは、異邦人を嫌い、彼らに伝道することなどあまり念頭になかったのです。しかし、神はそれが間違っていることを、ペテロを通して示されたのです。使徒の働き10章を読んでみましょう。ここで大切なのは、ペテロの見た幻です。
(9−16節) イスラエル人たちは律法で汚れたものとされた物は決して食べませんでした(レビ11章 参照)。ところが、神はそういったものまで食べろと命じられたのです。つまり、ここで神は、異邦人たちを汚れているといって敬遠し福音を宣べ伝えないようなことはあってはならない、と教えられたのです。そしてこの出来事の後、異邦人への伝道が積極的に行われるようになり、パウロのような異邦人専門の伝道者も起こされたのです。こうして、すべての人に別け隔てなく福音が宣べ伝えられるようになったのです。

三、神の家族としての教会(エペソ 2章19ー22節)
 さて、そろそろ教会とは何かという結論を出さなければなりません。その答えは19節にあります。教会は『神の家族』なのです。もう少し具体的に言えば「イエスを信じる者の集まり」です。建物でもなければ、何かの制度でもありません。イエスを信じるものは、年齢、性別、人種、職業、学歴、地位、すべての障害を超えて唯一の教会に属します。神を父とする家族なのです。祈る時に『父なる神よ』と呼びかけるのはそのためです。この歴史を貫いて、世界中のすべてのクリスチャンが作っている唯一の教会を『目に見えない教会』とよびます。しかし、クリスチャンは世界中にいますから、いつでも一緒に活動するための小さな単位が必要です。それが、皆さんが出席しているそれぞれの教会です。その中ではなんの差別もなく、皆が平等なのです。あなたもこの家族の一員になりませんか。

関連聖書箇所:エペソ

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