主イエス・キリストの恵みによってのみ救われたことを私たちは信じます(使徒15章11節)
一、エルサレム会議の開催(使徒15章1ー21)
異邦人が中心になって成長していたアンテオケ教会に、ユダヤから人がやってきて、パウロたちとの間に激しい対立が起きました。その原因は、救いについての考え方の違いにありました。ユダヤから来た人々は『割礼を受けなければ救われない』と教えていたのです。そこでパウロたちは、この問題について使徒たちや長老たちと話し合うため、エルサレムに向かいました。
エルサレムに着くと、パリサイ派から信者になった人々が割礼の問題を取り上げ、またもや激しい論争になりました。そこでペテロが立ち上がりました。7節ー11節を読みましょう。ペテロは、神は異邦人にも聖霊を与え、信仰に導かれたこと、ユダヤ人は、自分たちでさえ完全に守ることのできない律法の義務を異邦人に負わせようとしていること、そして異邦人も主イエスの恵みによって救われることを力強く語りました。バルナバとパウロも、伝道旅行で神が異邦人になさったことをあかしし、最後にヤコブが結論を出しました。13ー21節を読みましょう。異邦人の救いは予言の成就であるとし、異邦人には、ユダヤ教の律法を課さないと決定したのです。ただ、ずっと律法を守ってきたユダヤ人に配慮して『偶像に供えて汚れた物、不品行、絞め殺した物、そして血を避けることは守るようにと付け足されました。
二、決議の通達(使徒15章22ー35節)
会議で決まったことは手紙に記され、パウロとバルナバ、そして選ばれた使者ユダとシラスによってアンテオケ教会に通達されました。これまで割礼や律法のことで悩まされていた人々は、どんなにか緊張してその手紙を読んだことでしょう。けれども、人々はそれを読んで大きな励ましを受け、みなで喜びました。ユダとシラスも彼らを励まし、力づけました。パウロとバルナバはしばらくそこにとどまり、主のことばを教えました。
三、信仰によって義とされる(ガラテヤ2章11ー16節)
こうして、神の救いはユダヤ人にも異邦人にも約束された恵みであることを確認したのですが、ペテロ(ケパ)がアンテオケ教会を訪問した時、ある問題が起きました。この時ペテロは、最初は異邦人のクリスチャンと一緒に食事をしていたのに、ユダヤ人クリスチャンが来ると、異邦人を避けるようになったのです。パウロはその行為をはっきりと批判しました。そして、最も大切なことを伝えたのです。それは、人は、律法を守る行いによって義と認められる(救われる)のではなく、キリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる。ということです。このことは、私たちにも当てはまる大切なことです。
神は私達の行いではなく、ただ主イエスを信じる信仰によって救ってくださるのです。