アンテオケ

 弟子たちは、このアンテオケで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。(使徒11章26節)

一、アンテオケ宣教の始まり(使徒11章19ー21節)
 ステパノの殉教から起こった迫害によって散らされた主イエスの弟子たちは、みことばを宣べ伝えながら巡り歩き(8章4節)、地中海北東のフエニキヤ、キプロス、そしてシリヤのアンテオケにまで進んでいきました。そしてアンテオケに来てからは、ギリシャ人、つまり異邦人にも福音を伝えるようになりました。ピリポがエチオピヤ人を導いたり
(8章)カイザリヤでペテロがコルネリオとその家族を導いたように、主は異邦人への福音宣教を、この町でも進めておられたのです。

二、アンテオケ教会の成長(22ー26節)
 アンテオケでは大勢の人が主イエスを信じ、最初の異邦人の教会が誕生しました。この知らせを聞いたエルサレムの教会は、新しい教会を応援するため、バルナバを派遣しました。バルナバはキプロス生まれのレビ人だったので(4章36節)、アンテオケ教会が誕生するきっかけとなった。キプロスやクレネ出身のユダヤ人信者たちと話し合うのにふさわしい人物だったのです。
 バルナバは、アンテオケに着いた時、神の恵みが豊かに注がれているのを見て喜び、主にとどまっているようにと、生まれたばかりの教会を励ましました。彼は大勢の人を主イエスに導き、さらに、タルソにいたサウロを連れて来ました。サウロは劇的な回心をしたにものの、積極的に福音を語ることが出来ない状況に置かれ、故郷でその時を待っていたようです。異邦人伝道に召されたサウロ (9章15節)は、この働きに適任でした。
よい指導者に恵まれたアンテオケの教会には、さらに信仰に導かれる人が増えていきました。 町の人々は教会に注目し、主イエスに熱心な姿を見て、彼らを『キリスト者』(クリスチャン』と呼ぶようになりました。この呼び名は『キリストのことばかり考えている人』という意味です。教会の人々がどれだけ主イエスを愛し、互いに愛し合っていたかを想像することができます。

三、アンテオケ教会の貢献(27ー30節)
 勢いを増して成長するアンテオケ教会とエルサレム教会の間には、よい協力関係が見られました。バルナバに続いて、預言者たちも、アンテオケ教会にやって来ました。その中のアガボという預言者が、世界中に大飢饉が起こると聖霊に導かれて預言しました。そのとおりになった時、アンテオケの教会の人々は飢饉に苦しんでいるエルサレム教会のために、それぞれの賜物や状況に応じて自発的に捧げ物をし、救援物資として送ることに決めました。そして集まったものをバルナバとサウロの手によってエルサレムの長老たちに届けたのです。
 アンテオケの教会は、初めの頃はエルサレムの教会から支援を受けました。こんどは受ける教会からささげる教会に、与える教会として、主の用いられるようになったのです。

* キリストに属する者として生きる。

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