十字架上の祈り a

『父よ。彼らをお赦しください。彼らは,何をしているのか自分でわからないのです。』

(ルカ23章34節)

Jesus said , “Father ,forgive them, for they do not know what they sre doing.” And they civded up his clothes by casting lots. (Luke 23:34) New International Version.

一、『父よ。彼らをお赦しください』(ルカ23章33、34節)

二人の犯罪人の中央でイエス・キリストは十字架にはりつけにされま した。それも最目立つ所であり、道行く人々も中央にかかげられたキリストを見てののしったのです(マタイ27章39、40節)。祭司長や律法学者たちも、 キリストをあざ笑う中、この二人の犯罪人たちもキリストをののしったことが聖書に記されています (マタイ27章41−44)。
十字架のさばき と苦しみを受ける彼らは、キリストと同じ立場にいましたが、彼らも人々と同じようにキリストをあざけったのです。自らの罪を認めるよりも、だれかのせいに して責任を転嫁したり、他の人をあざ笑うことによって自分の苦しみを軽くしょうとしたり、人の心の奥には他人を引き下げようとする、冷たい陰険な心がある のです。

二、悔い改めた罪人(ルカ23章34ー41節)

しかし、ルカの記述によると二人のうち一人は,あざけるもう一人をたしなめて,自分の罪をキリストの前に認めるようになりました (41節)。何が彼を変えたのでしょうか。

十字架の死の苦しみを味わう中で、彼の目にはキリストの姿が映っていたに違いありません。自分自身もキリストをののしる中で聞いたキリストの最初の言葉 は、人や神を呪い、あざ笑う言葉ではなかったのです。それは『父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです』という、人 々の赦しを執り成す祈りだったのです。この罪人はどのような思いでこの言葉を聞いたのでしょうか。

自分を苦しめ,呪う人々を前にして、そ の人々のために神に赦しを祈る。この愛の言葉に、彼は自分の心の闇を示されたのではないでしょうか。自分を呪う者への赦しを神に祈るキリストの言葉を,自 分のための祈り、自分のための言葉として受け取ったのでのではないでしょうか。そして『何をしているのかわからない』のは自分だと考え始めたのではないで しょうか。少し前までキリストを呪っていた彼の変化は明確でした。聖霊の導きと助けによって,彼は自らの罪を認めることができたのです。

キリストの言葉を、自分自身に向けて語られる言葉として受け止めていくとき、私たちは聖霊を通して変えられていくのです。

三、キリストの救いの宣言(ルカ23章42、43節)

犯罪人は言葉を続けます『イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください』(42節) と。彼は、救って下さいとも、赦してくださいとも語っていません。しかし、キリストは彼の控えめなことばと、その心の中にある真の悔い改めと信仰とを認め てくださったのです。そして彼に,天国への約束を宣言なさいました。

最後の最後の悔い改めであっても、神の愛を受け取り,謙虚に自らの罪を認め、赦しを求める者を、主は必ず招き入れてくださるのです。

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