クート先生の或る断面(中川 和久)

クート先生を知る様になってから現在に至るまでその思い出は数多くありますが、その一つのことを今思い出します。

それは、私が学院に在学中は始めの三ヶ月しか自動車の運転手が居らず、後の二年半はずっと車の運転を仰せつかっていた時の事でした。

或る冬の寒い夜、伝道から帰る先生を生駒の駅まで迎えに行った時、駅前に屋台のラーメン屋が出ていました。熱い湯げが立ちのぼり車の中までにおって来る様でしたが、何しろこちらは貧学生(神学生) で五十円の金もありませんでした。 当時充分で なかった食料事情の故か、すき腹をかゝえて屋台を横目でにらみ”これが信仰の忍耐”とばかり私はクート先生を待っていたのです。

やがて先生は帰って来られ電車から降り車の方へと歩いて来られました。しかしその姿には講壇の上で見るような信仰に満ち溢れ御霊にもやされたあの大胆なところは少しもなくむしろ寒さの故か、その姿は孤独な身寄りもない一人の老人にしか見えませんでした。

その姿を見た私は先生が異国に於て人間的に如何にむくいられる事の少い生活を送りつゝこの福音の働きをおし進めている事か、と云う事を痛いほど感じさせられました。

それ迄の私の関心事は熱いラーメンのどんぶりでしたが、それ以上に魂を満してくれたのはこの先生を支えているのが神の御愛であり、先生は神に全き信頼をおいた生活をして居られるのだと云り信仰の思いを起されたことでした。

晩年の先生の生活をもし聖句で表現するとすれば、それは第ニコリント十一章二十八~三十一節でしょう。

「尚、様々な事があった外に、日々私に迫って来る諸教会の心配事がある。」

私はこの先生から、生きた信仰と伝道者は如何にあるべきか、と云う事を学ぶことが出来たこと感謝しています。

大東キリスト教会 牧師

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