クート師にはげまされて(小林 勇)

私が初めて先生を知り、福音の言葉を信じるようになって早くも十数の年月が過ぎました。今、 先生を思い出すのは、あの大きな体と力いっぱいの声がこの頭の中にしっかりと残っているでしょう。

初めて京都の教会に来られ、上手? な日本語で時々ユーモアのある言葉を口にして、”あの皆 様方よ”と云れて、常に京都の信者を愛していたわり信仰にはげみなさいと云われ、老体にもかゝ わらず福音を語り、又信仰の素晴しい証しをされ、一人ひとりの信者を助けて下さった先生、この先生を通してイエスキリストを知り信仰の道に従った人々は数知れず、その中の一人として私も先生の言葉にはげまされて今日まで信仰の道を歩むことが出来たことは感謝です。

又、教会に行き讃美と感謝の証しと奉仕。 どれを見てもやはり日本人を愛し、愛する事を教えた のは先生にほかならないと思います。
人々がみな建てられ組合されて教会の部分として奉仕をしなければならない。又献げなければな らないと常に教えられた人、この奉仕と献げもののことは、私にも大きな信仰の喜びとなって証が 出来るので感謝です。

初めはやはりつらかったけど何年もたってはじめて過ぎた歩みをふり返って見れば、このことがやはり自分の身にしみて、感謝となっています。又このことの故に、自分は神に憶えられていると思うのです。

この故に、次に来るものも信仰によって乗り切ることが出来ると云う信仰を、ふるい立たせることが出来ると信じるのです
恵の数々、証詞のどれを見てもこの福音によって私にもたらして下さった神と、建物を作り私を招いて下さった先生に今は心の中より感謝の言葉をお送り致します。

会社員 京都救霊会館

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