第一課
預言は、聖書研究の驚くべき課題の一つです。聖書全体は預言ばかりです。
これを解りやすく、明らかにするために預言の歴史に関する点、未来に関する点、
現在の状態に関しての点に分類します。
(1)預言と言う、神のことばを語る預言者は、器であって、語って居る事実を知らず、
聞いたこともなく、自分で学んだり、研究したものではありません。
ただ直接に、神のみことばを聴いて、そのままを語る、これが預言と言うものです。
(2)一般の信者は、預言というものはただ将来に起こる事柄だと思っていますが、
これを預言を限定する考えで、前述の如く過去の事も、現在の事も、神の御心あれば、
預言となって器がはたらき始めるのです。
第一章 全聖書は預言である
2-テモテ3章16節「聖書はすべて神の霊感によるもの」であるから、
聖書全体、即ち旧約も新約もともに預言です。他の言葉で言うと神の真理を表現するために
特に選ばれた男か女の真意の中に神が動かれるのです。その感動が発言されて預言となるのです。
第二章 預言の在り方
2-ペテロ1章21節
「預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、
聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです」
とあるように、預言というものは人の心意とは全然関係がない。
人はただ器であって、感動してしていれ時は考えも意志もしばらくの間停止して、
神の御心のみが完全に、充分に働く状態にあるのです。
次に、預言をしたり預言者といわれた人々は「聖なる神の人」といわれていた。
「神の聖なる人」ということを読むとき、ただの普通人でないことが解ります。
罪をみのがすことのできない神の御目が、どうして真実、聖くないものを聖いと御覧になれようか。
聖いというからには、まこと罪のない人々であったのです。そればかりか彼らは神の人だってのです。
その訳は彼らはその全生活、全生涯を神の仕事のために献げていたと言う意味。
人間の努力と礼拝をチャンポンにしたり、金を儲けるために信仰するのでなく、
初めも神、終わりも神、いつも神だけ、というのが神の人の有様なのです。
第三章 主なる預言の題目
1)ユダヤ人のとりことなること
2)外国人の入信(異邦人が信仰に入ること)
3)バビロンとエルサレムの滅亡
4)福音の世界伝道
5〕世の終末
6〕最後の審判
7)聖霊の降臨
8)教会の迫害
9〕ユダヤ人の帰国
上の題目の中心は、いつもイエス・キリストであった。
第四章 キリストに関する一般的預言
キリストの地上生活の一つ一つについて預言されていた。
誕生、全世界人類絵の奉仕、ユダヤ人のキリスト放棄、死、埋葬、昇天、再臨等について
預言がなされており、今後の勉強の課題とします。