主題 選ばれた取税人マタイ
イエスは、罪人を招いて悔い改めさせ、救ってくださる。
聖句=私は正しい人をを招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。
(ルカ5章32節)
聖書箇所=ルカ5章27ー32節 6章12−16節
*新約聖書の一番初めはマタイの福音書ですね。これは12弟子の一人であるマタイ、別名レビという人がイエスの御生涯を書き記したものです。今日は、このマタイがイエスに出会った時の話を学びます。マタイはイエスに出会うことによって、人生が百八十度変わりました。
一、マタイに声をかけるイエス(ルカ5章27、28節)
イエスが道を歩いておられると、途中に収税所がありました。当時、ローマ帝国の支配のもとに暮らしていたユダヤ人々は、様々な税金をローマに納めなければなりませんでした。その集金の仕事に当たっていた取税人たちは実際の税の何倍もの金額を人々から巻き上げ、私腹を肥やしていました。ユダヤ人なのにローマの手先となって働き、しかも不正をして同胞を苦しめていた取税人は、人々から蛇のように嫌われ、軽蔑されていました。イエスが通りかかられた時ちようど収税所に座っていたマタイも、そうした取税人の一人でした。お金には不自由せず、贅沢三昧の暮らしをしていたマタイでしたが、心は虚しさでいっぱいでした。意味のある、本当の生き方をしてみたい、そう思い始めていたのです。そんなマタイにイエスは目を留め、『わたしについて来なさい』と声をかけられました。本当の幸福、生きる目的は、この方から与えられる以外にないと確信したマタイは、一切を捨ててイエスに従いました。
二、罪人を招くイエス(5章29ー32、6章12−16、)
イエスを信じたマタイは、早速、自分の家で大祝宴を開いて、取税人たちを はじめ、大勢の人々を招きました。昔の仲間たちに、本当の喜びと生きがいをお与えになることのできるイエスを紹介したかったのです。彼らにもぜひ、今の罪深い生活から抜け出して、この方に従ってほしいと思ったのです。マタイのこの純粋な願をご存じだったイエスは、
喜んでこの祝宴に出席されました。すると、パリサイ人と律法学者たちは、取税人のような罪人と食事を共にするとは何事か、とイエスを非難しました。彼らは、自分たちは忠実に聖書の律法を守っており、神の前に正しい者であると自負していました。ところが実際は、マタイの救いを共に喜んであげるだけの愛すら持ち合わせていない、冷たいこころの持ち主だったのです。イエスは『医者を必要とするのは病人です』と言って、自分は罪人を救いに導くためにこの世に来たのだと述べられました。
『義人はいない。ひとりもいない』(ローマ3・10)とあるように、神の前ではすべての人が罪人です。自分をあくまで正しいとし、他の人々をさげすんでいたパリサイ人や律法学者よりも、自分の罪を認め、深く悔い改めた取税人マタイのほうが神に喜ばれ、受け入れられたのです。私たちも自分の罪を告白するならば、ゆるされて、神の子としていただくことができるのです。そしてマタイを12弟子の一人として用いられたように、私たちもイエスの証人として素晴らしい人生をスタートすることができるのです。
(祈りましょう)