苦しみの時の祈り

主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな (ヨブ記1章21節 )
人生において、苦難は突然襲いかかってきます。何故かその理由をすることは難しい。
ヨブは清廉潔白な人で敬虔な人物であり、幸せな人生を送っていました。
その彼に、苦難が襲い、あらゆる苦しみを味あわなければなりませんでした。
ヨブ記は正しい人が何故苦難に遭わねばならないのか。
人生における苦難をどのように理解したらよいのかがテーマになっています。

The Lord gave and the Lord has taken away°may the name of the Lord be praisesed

(Job 2 : 21 ) New International Version

一、苦しみの日に神に信頼する(ヨブ記 1章20ー22節)

 突然襲ってきた試練によって、ヨブはすべての財産を失いました。その時、ヨブは主に信頼し、
主に礼拝して言いました。『私は裸で母の胎から出て来た。また、かしこに帰ろう。
主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな』(21節)。
 自分のすべての財産を失っても、ヨブの主に対する信頼は揺るぎませんでした。自分の存在は、
財産を含めて、すべて主なる神によっていたことをよく知っていたからです。
しかし、主なる神を忘れて自我にとらわれている者は、自分に理解できない苦難に遭うと『なぜ』
『どうして』と神を責めます。財産にとらわれている者は、財産を失うと神に対する信頼まで

失ってしまいます。それが私たち人間の現実である。
しかし、ヨブはすべての財産を失っても、それをすなおに受け入れ、
主に対する信頼は変わりませんでした。

二、苦しみの日にも神を呪わない(2章4−10節)

 ヨブは、財産だけではなく、その健康まで失いました。
全身悪性の腫物に覆われ、昼も夜も苦しまなければなりませんでした。
その時、ヨブの妻は『神を呪って死になさい』(9節) と言いました。それに対してヨブは
『私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければければならない』(10節) と答え、
神を呪いませんでした。主の愛に満たされていたからです。
 私たちは自我が強く、自分のことしか考えない。そのために、苦しみに遭うと、すぐつぶやき、
神をのろってしまいます。

三、苦しみの日に神をほめたたえる(42章1−6節)

 3人の友が見舞いに訪れた時、ヨブは自分の苦しみを訴えました。
それは、彼らには意外であったようで、見舞いのはずが論争となりました。

論争の後、ヨブは主に諭され、神をほめたたえる者となったのです。
ヨブは、主の全能と全知を知り(2、3節)、その恵みと素晴らしさをを悟りました (5節)。
それらを知った時、彼は苦しみの中にあっても悔い改め(6節)、主なる神をほめたたえたのです。
 神をはめたたえることができた時、彼は論争した友人たちのために祈りました (9節)。
主は、ヨブを祝福しすべてを元どおりにされました。さらにそれを二倍に増し加えられたのです。
主をほめたたえる者には、祝福が与えられます。

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