罪人の救い

『私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。』(ローマ5章8節)

一、十字架の死の理由(ローマ5章1−5節)
 6節を読んでください。キリストが『定められた時に』死んでくださったと書いてあります。今まで聞いたとおりに、キリストの十字架は神のによるものです。神が旧約聖書を通して予言された、人類を罪から救うという大事業が、この十字架によって完成されたのです。神はアダムとエバが神に背いた時から人間のための救いの計画を用意しておられましたが、ひとり子であるイエスをこの世に送り、イエスを十字架にかけることによって、そのご計画を完成してくださったのです。
 6節をもう1度見て下さい。キリストが『不敬虔な者のために死んでくださいました』と書いてあります。『不敬虔な者』というのは、神を敬わない人のことですが、つまり私たちのことです。4章25節には『主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義に認められるために、よみがえられたからです』と書いてあります。

二、十字架の死を生じさせる力(ローマ5章7、8節)
 イエスが私たちのために死なれたということがどういう意味をもっているか、考えたことがありますか、人間はだれでも死にたくないものです。それも、誰か他人のために、自分から進んで死ぬなんてとんでもないことだと思いませんか。7節を読んでください。本当にその通りですね。けれど、主イエスは『私たちのために死んでくださった』のです。
8節を読みましょう。イエスがご自分の命を捨てられたのは『正しい人』でも『情け深い人』でもなく罪人であり、不経験な者のため、つまりイエスに反逆していた私たちのためだったのです。
 これは、神の愛の表れです。十字架というのは、私たちに対する神の愛が示されたものなのです。?ヨハネ4章10節を読んで下さい。

三、十字架の死がもたらす結果(9−11節)
 それでは、神がそれほどの愛を示してくださった十字架によって、私たちはどのようになったでしょうか。まず10節の前半を見てください。十字架の結果の一つ目は、十字架によって神と和解ができたことです。今まで神に背き、敵対していた人間が、十字架によって、仲直りしたのです。
 二つ目は、10節の後半にあるように、いのちによって救いにあづかったことです。いのちというのは復活のいのちと力です。私たちはこの新しい命をいただき、救われたのです。
 三つ目は、神との交わりを喜ぶ者とされたことです。罪を犯したアダムとエバは、神から隠れようとしました。幼いときなにか悪いことして親から隠れようとした経験が皆さんにもあるかもしれません。けれど、イエスの十字架によって私たちは、神との交わりを喜ぶ者に変えていただいたのです。
 このような素晴らしい恵みは、すべて主イエスが私たちのためにかかってくださった十字架の結果です。今日の聖書箇所を読んで『キリストによって』という言葉が何回出てくるか数えてください(1、2、9、10、11節)。イエス・キリストこそ、救いの条件です。
イエスによる以外に私たちが救われる方法はないのです。使徒4章12節を読みましょう。

『この方以外には、誰によっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われる御名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。』 

* イエスによる以外には救いはない。  聖書箇所=ローマ5章1−11節

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