私は生きているかぎり、主をほめたたえよう。(詩篇146篇2節)
I will praise the LORD aii my life: (Psaim 146 : 2 ) New International Version
一、主に聖別する(2歴代29章1−30節)
ヒゼキヤが南王国ユダの王となったのは、25才の時でした。王になってまず最初にしたことは真実の礼拝のために、その民を聖別したことです。
その頃、人々は、まことの神をないがしろにし、そのまことの神を礼拝する場所であった神殿に異教の神々を礼拝するために用いるような物まで持ち込んでいま した。このような時にヒゼキヤ王は、宮の修復をさせ、神に仕えるべき祭司やレビ人たちに『今、あなたがたは自分自身を聖別しなさい』と命令しました。まこ との神に背を向けて、乱れた生活に日々を過ごしている祭司やレビ人たちに、まず自分自身をきよめ、神に自分をささげるよう勧めたのです。
パウロもローマ12章1節で『あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い,生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です』真実の礼拝は,あなた自身を『神に受け入れられる、聖い,生きた供え物としてささげる』ことです。
ヒゼキヤ王は宮を修復してから、まことの神を礼拝するのにふさわしくない物を宮から出してしまうように命じました。それで祭司たちは、宮にある汚れた物, 偶像礼拝に使った物などを、全部捨てました(16節)。イエスも同じように、エルサレムの神殿にいた商売人を追い出して,宮を浄められました。私たちの体 も、神の宮(㈵コリント6章19節)です。私たちの内に、まことの神を礼拝するのにふさわしくないものがあるでしょうか。。今それを全部捨ててまことの神 を礼拝しましょう。
二、主にいけにえをささげる(2歴代29章20ー24節)
ヒゼキヤ王は,民を聖別し、神殿を浄めただけ ではなく、神に背いていた罪を赦していただくために、いけにえの動物をささげました。礼拝する時には,罪の贖いと主なる神への献身を表すために、いけにえ の動物をささげることになっていたのですが、ヒゼキヤの前の王は、まことの神を礼拝せず、いけにえをささげることもしませんでした。そこで、ヒゼキヤは、 町の指導者たちを集めて、主の宮に上り、主の祭壇の上でいけにえをささげたのです。
私たちの罪は、動物のいけにえによって完全に赦される 事はありません。しかし、神の御子であるキリストが十字架にかかられた時、私たちのの罪は完全に赦されました。このイエス・キリストを信じる者は、すべて の罪を赦されて,神の前に出る事ができます。罪のない完全なキリストが犠牲になって下さったので,私たちは、動物のいけにえをささげなくてもよいのです。 ですから,私たちも魂と体をささげて礼拝しましょう。
三、主をほめたたえる(2歴代29章25−30節、ヨハネ4章21、24節)
ヒゼキヤ王は、人々がいけにえをささげて礼拝する時、主をほめたたえました。シンバル、琴ラッパの演奏とともに、聖歌隊は、美しい歌声で主をほめたたえ、 人々はひざをかがめて、主を礼拝しました。主イエスは、サマリヤの女と話された時『神は霊ですから、………霊とまことによって礼拝しなければなりませ ん』(ヨハネ4章24節)とおっしゃいました。
神の霊に満たされ、神の真理によって心から礼拝するのです、そのために、自分自身を主にささげ『霊とまこと』によって主なる神をほめたたえましょう。