『見よ、世の罪を取り除く神の子羊』(ヨハネ?章29節)
一、いのちを与えるために来られた主
今年も、クリスマスを喜んで祝いました。素晴らしい喜びの季節ですが、実は、主イエスは死ぬために生まれてくださったということを忘れてはなりません。
『生まれたからには死ぬのは当たり前』と思うかもしれませんがそういうことではありません。
主イエスは、永遠の始めからおられた神です。ですから、死を経験する必要などありません。にもかかわらず、イエスは、死ぬために人となってくださったのです。
しかも、当時最も苦しい死に方であり、最も屈辱的な死である十字架で死ぬために、私たちの世界に来てくださいました。
二、証言一、シメオンとアンナ(ルカ2章22ー28節)
イエスの誕生から40日ほどたって、ヨセフとマリヤは、幼子を連れてエルサレムの神殿に行きました。律法の定めに従って子供を主にささげるためです。
ここに神が導いてくださったシメオンとアンナの口を通して、やがて来る主の受難が予告されます。イエスの誕生を大いに喜んでいるマリヤに対して、深い苦悩が予告されました。イエスの地上の生涯の最初にすでに与えられている預言です。
三、証言二、バプテスマのヨハネ(ヨハネ1章29ー37節)
およそ30年後にイエスが公生涯に入られた時にも、同様に証言がなされました。
パプてスマのヨハネが、イエスを指して『神の子羊』と呼んだことは、イエスの受難を示しているようです。
事実、この発言の約3年後に、イエスは過ぎ越しの祭りにおいて、過ぎ越しの子羊のほふられる時刻に、十字架の上で血を流すことになるのです。
バプテスマのヨハネの発言も、主の受難を予告した証言です。
四、主御自身(マルコ10章45節、ヨハネ10章10、11節)
さらに、主御自身が、『自分のいのちを与えるため』に来られたことを1度ならず語っておられます。主イエスは、十字架で死ぬために、人となって私たちのところに来てくださったのです。
五、わたしのために
クリスマスの喜びの日を過ごしたあとで、今日もう一度、主イエスが何のために生まれてくださったのか正しく理解しておきましょう。
イエスは、十字架で死ぬために来てくださいました。十字架の上で、世の罪を代わりに背負って死ぬことで、世の罪を取り除くためにです。
『世』と言うときに当然そこに、私もあなたも含まれています。ですから、次のように言い直してみましょう。
主イエスは、十字架で死ぬために来てくださいました。十字架の上で『私とあなた』の罪を代わりに背負って死ぬことで『私とあなた』の罪を代わりに背負って
死ぬことで『私とあなた』の罪を取り除くためにです。