神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、
これらのものはすべて与えられます。 (マタイ6章33節)
But seek ye first his kingdom, and his righteousness; and all these things shall be added unto you.( Matthew 6 : 33 )
一、二人の主人に仕えるのではなく(マタイ6章24節)
イソップ物語に出てくるこうもりは、鳥に向かっては自分は鳥と言い、動物に向かっては自分を動物の仲間であると言って、調子良く暮らしていましたが、やがて両方から放り出されてしまいます。主イエスを救い主と信じ、主に仕える者とされた私たちも、ある時は主に仕え、別の時には『富』やお金に仕えるというような調子のよい生き方をしてはなりません。
勿論、お金は大切なものです。正しい労働によって得たお金をきちんと予算を立て、必要なことのために計画的に使うことはとても大事です。しかし、イエスを主と告白して生きている私たちは『お金さえあれば幸せになれる』と、まるでお金を神のように『信仰』する生き方をしてはならないのです。
二、空の鳥、野のゆりを見なさい。(マタイ6章25ー32節)
主は何を食べるか、何を飲むか、何を着るかを心配してはならないとおっしゃいました。
25ー34節には、この心配という言葉が七回も繰り返されています。今の日本人のキーワードは『不安』であると言われています。パブル崩壊後長く続く経済不安の中で、また、東日本大災害等々!私たちは生活の基盤が崩れるのを恐れ、心配し、ますます『お金』にしがみつくのです。
しかし主は、私たちに繰り返し『心配してはならない』と語っておられます。何故なら主は空の鳥、野のゆりさえも豊かに養い、装ってくださるのですから! 私たちは、空の鳥や野のゆりよりも、主にとってははるかに大切な存在です。十字架上で身代わりになって死んでくださるほど、かけがえのない存在なのです。ですから、主のことばを素直に受け入れ、その時その時、必要に応じて豊かに与えてくださる主を信じ『お金』や『モノ』から心を解放されて安心して、毎日を歩もうではありませんか。
三、神の国と神の義をいちばんに求める(マタイ6章33、34節)
私たちが必要なものすべてを与えていただくためには、条件が一つあります。33節を読みましょう。主は私たちに『神の国とその義を第一に求めなさい』とおっしゃいました。
自分勝手な価値判断に従って生きるのではなく、主に信頼し、主がお喜びになることが何かをいつも思い巡らし、主のみこころに従って生きることを求めなさい、と主は命じておられるのです。主はそのように生きる力と導きを必ず与えてくださいます。そしてそのために必要なものも、添えて与えてくださるのです。なんと素晴らしいお約束なのでしょう
もう一つ主が命じておられることがあります。それは『明日のための心配』をしてはならないということです。それは、将来のために計画を立てて努力することを否定するのではありません。将来の計画はとても大切なことです。ただ心配しても仕方のないことについて、心を遣ってくよくよしてはならない、ということです。備えるべきことは備え、しなければならないことをきちんとしているならば、後は主に委ねて、その日その日を心安らかに生きようではありませんか。