悪に負けてはいけません。かえって、善を持って悪に打ち勝ちなさい。 (ローマ12章21節)
一、エン・ゲデイの洞窟(?サムエル24章1ー7節)
イスラエルの英雄でありながらサウルに妬まれたダビデは、逃亡生活を続けます。日々命を狙われる危険を感じながら生活することは、どれほどダビデを苦しめたことでしょう。
ある時、ダビデとその部下たち(逃亡中にダビデのもとに来て仲間になった) エンゲデイの洞窟に身を潜めていました。すると、何と三千人の精鋭を引き連れてダビデを探していたサウルが、用をたそうとその洞窟に入って来たのです。ダビデの部下は、今こそサウルを打つべきだ、神が導いてくださったのだとダビデに言いました。それに応えるように、ダビデは立ち上がりました。ところが、ダビデはサウルに襲いかかるどころか、サウルの上着の裾を切り取っただけでした。ダビデの部下たちは『それだけ』と思ったかもしれません。しかしダビデは、それだけでも胸を痛めました。どうしてでしょうか。6節を読みましょう。主が王として選んだ方を、自分が勝手に王位から退けることなどできない。それは主に逆らうことだ、というのです。ダビデはサウルをお選びになった神を恐れ、自分で復讐することも、部下に手を下させることもせず、かえって部下を説き伏せました。このようなダビデの姿勢に、部下たちは何を教えられたでしょうか。
二、過ちを認めるサウル(24章8ー22節)
サウルが洞穴から出て行くと、ダビデは後ろからサウルを呼び、ひれ伏し、礼をしました。それは、自分には敵意のないこと、サウルを王として認めていることを表すものでした。そして何より、切り取ったサウルの上着の裾がそのことを証明していました。10ー12節を読みましょう。ダビデは、サウルを殺すことも出来たのに、自分はそうしなかったと訴えたのです。そして、サウルの不条理な仕打ちを主御自身が正しくさばき、自分を救ってくださるようにと、すべてを神にゆだねたのです。
サウルはダビデのことばに心打たれ、泣きながら自分の非を認めました。ダビデの王位を認め、子孫の安全を願うサウルに、ダビデはそのようにすると約束しました。ダビデはサウルの悪に善をもって応えたのです。
三、ハキラの丘で(26章)
ところが、サウルのダビデに対する殺意は消えていませんでした。ダビデがハキラの丘にいると聞くと、サウルはダビデのもとに向かい、近くに陣営を張りました。そのことを知ったダビデは、部下のアビシャイと二人で、夜中にサウルのテントに忍び込みました。兵士たちも眠っていて、サウルを殺すには絶好の機会です。しかしここでも、ダビデはサウルに手を下さず、主に全てをゆだねました。10ー12節を読みましょう。ダビデはサウルの枕元にあった槍と水差しを持ち帰りました。
12節に『主が彼らを深い眠りに陥れられた』とあるように、これらのことを導いておられたのは、主ご自身でした。主はダビデの正しい誠実な態度を通して、サウルを悔い改めに招いておられたのかもしれません。23、24節を読みましょう。主は一人一人の正しさと真実に報いてくださるお方です。サウルに追われ、打ち取るチャンスを目の前にしながらも、主の主権に従ったダビデに倣う者になりましょう。