神として祭り上げられる

 私たちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝えす。                     (第?コリント4章5節)
 パウロたちは、小アジヤ地方のガラテヤ州において伝道を続けました。アンテオケ、イコにオム、そしてルステラの町々で、力強く福音を伝えました。そこでは、ユダヤ人の世界では見られない反応と出来事が次々と起こりました。

一使徒があがめられる。(使徒14章8ー13節)
 パウロは、ルステラでは、足の不自由な人を見て『自分の足で、まっすぐに立ちなさい』と言いました。すると彼は、ただちに歩き出しました。それを見た群衆は、非常に驚き『神々が人間の姿をとって、私たちのところにお下りに生ったのだ』と言い、バルナバをゼウス、パウロをヘルメスと呼びました。ゼウスもヘルメスもギリシャ神に出てくる神々で、その町には、ゼウス神殿がありました。祭司は群衆と一緒になって、バルナバたちを神々として祭りあげようとしたのです。
 アジヤやギリシャの世界では、ユダヤ人の厳格な唯一神教とは違って、多くの神々があり多くの宗教が存在していました。簡単に、人間を神々として祭ることがあったのです。それは、日本においても同様です。

二、使徒が弁明する。(14—19節)
 そのことを知った使徒たちは、非常に驚き、衣を裂き、群衆の中に駆け込んで弁明しました。使徒たちの弁明は内容を大きく次のように分けることができます。
 第一は、私たちはあなた方と同じ人間であって、決して神でないこと。神として祭られたり、あがめられることを強く拒否しています。
 第二は、天地を創造された生ける神に立ち返るように、人々に福音を伝える者であることそこに、使徒の意味と働きがあります。
 第三は、その生きる神を信じ、その神のもとに立ち返るようにという勧めです。
この弁明は、異邦人に対するメッセージを見ることができます。
 ? 創造主である唯一の神を語る。 ? 人間はあくまで人間です。 ? 神は自然と歴史の中でご自身を示し、人間に、悔い改めて立ち返ることを待ち望んでおられます。私たちは、神のみを礼拝し、人間をあがめるようなことをしてはなりません。
 これらのメッセージは、そのまま私たち日本人が学ばなければならないものです。

三、使徒が勧める。(20—22節)
 問題が解決しても、次の困難が襲ってきます。アンテオケヤイコにオムからユダヤ教徒たちがわざわざやってきて、何も知らない群衆を扇動してパウロたちを殺そうとしました。彼らは、パウロを石で打ち殺したと思い込み、町の外に引きずり出しました。しかし、パウロは弟子たちの見ている中で、立ち上がって再び町に入り、翌日デルベに向けて出発しました。そこでも多くの人を弟子にした後、危険に満ちたルステラやアンテオケに引き返して弟子たちの信仰を励ましています(22節)。彼にとって、苦難は栄光です。迫害や危難を恐れることなく、キリストを信じる信仰にしっかり立ち続けるようにと勧めたのです。それは、今も変わらない真実です。

* 7月29日、   神として祭り上げられる。 * 聖書箇所=使徒14章8—22節

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