最後の晩餐 a

みな、この杯から飲みなさい。これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。(マタイ26章27、28節)

Drink from it ,all of you . This is my blood of the coveant. which is poured out for many for the forgiveness of sins. (Matthew 26 ; 27~28 ) New international Version .

一、過ぎ越しの祭り(ルカ22章7ー13節)

 出エジプト12 章に記されている出来事を記念する『過ぎ越しの祭』では、その故事に倣って,種なしのパンとほふった子羊の肉を家族で食することが、一つ重要なことで、 実際の出エジプトの時には旅支度をして前述のものを食べ、子羊の血を家の入り口の鴨居に塗っておいた家は,神のさばきをを免れて、そのままモーセに率いら れてエジプトを脱出し、奴隷の状態から解放されたのです。
『過ぎ越しの祭』は救いと解放を祝う時だったのです。イエスと弟子たちも、
過ぎ越しの食事の準備をしました。


二、イエスの死の予告(14ー23節)

  その過ぎ越しの食事の席上、イエスはパンとぶどう酒を取り上げ、それらが『あなたがたのため』裂かれた体、また流された血を象徴するものであると語られま した。イエスの死が間近に迫っている事と、それが私たちの罪と死の奴隷の状態から救う身代わりの死であることとを予告なさったのです。この死を記念して (やがてできる新約時代の教会は)旧約の『過ぎ越しの祭』が指し示していたものが何であったかを確認するものとして聖餐式を行うよう求められたのです

  公生涯の開始に当たって、バプテスマのヨハネから『見よ。世の罪を取り除く神の子羊』(ヨハネ1章29節) と宣言された主イエスは、この子羊の意味することを明らかになさいました。過ぎ越しの出来事とそれを記念して行われていた祭りは、このイエスの十字架に よって完成するものでした。それは,神から私たちに対する(新しい契約の完成) でした。


三、イエスのとりなし(31ー34節)

 弟子たちは,イエスのお言葉をこの時点で完全に理解していたわけではありません。むしろ,裏切りや失敗、挫折をこの後すぐに弟子たちそれぞれが経験していくことになります。

 しかし、イエスは、そうした弱く罪深い者たちのためにこそ身代わりとなって死んで下さるのです。神のおきてを最初から完全に守れる者には (そんな者は,イエスご自身を除いていないが!) 身代わりの死は必要はありません。

 主イエスは、ぺテロに対しても,彼の裏切りとイエスのとりなし、それによる回復を約束されました。

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