最初の礼拝

神は実にそのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3章16節) 

 その時代のほとんどの人にとって、イエスの誕生は見知らぬ他人の出来事でしたが、ごくわずかな人々はその誕生を祝い、赤ん坊を礼拝するために駆けつけました。というより神は、ごくわずかな人々にイエスの誕生をお知らせになりました。しかし、このわずかな人々を通してこの良き知らせが周囲に伝えられていくようになることも意図しておられました。どのような人々が救い主の誕生を知らされ、礼拝することができたのでしょうか。

一、羊飼いたちの礼拝(ルカ2章8ー20節)
 イエスの誕生を知らされた第一の人々は、町の外れで野宿をして羊飼いたちでした。
彼らは1年中無休でいきものの世話をしなければならず、必然的に安息日を定期的に守れないため、宗教国家イスラエルにあって疎外された人々でした。一説には、彼らはエルサレム神殿で儀式に用いられるための羊を養う羊飼いであったとも言われています。仮にそうだとすれば、彼らは宗教国家イスラエルの骨組みを支えながら自身はその宗教の祝福からはのけものにされている人たちでした。
 その羊飼いたちに、御使は『あなたがたのために救い主が』お生まれになったと告げます (11節)。しかし、それは単に彼らのためだけでのことではなく『この民全体のための素晴らしい喜び』でした (10節)。実際、羊飼いたちは、救い主を礼拝した後、賛美し、あかしする者へと変えられています(17、20節)。救い主に出会ったことにより、彼らは、日頃自分たちを見下していた人々に対して優越感を持つ者ではなく、自分が得た祝福を他の人と分け合う者へと変えられたのです。

二、博士たちの礼拝(マタイ 2章1ー12節)
 イエスの誕生を知らされた第二の人は、東方の博士たちでした。彼らは天体を研究する学者でしたが、その時代の天文学は占星学術と結びつき国家に対する吉兆を注進する役割を負っていました。彼らは天体の研究により、西方の国で新しい王が生まれたことを読み取ったが、人間の探求ではそこまでが限界でした。神が直接星をもって導き、またエルサレムの学者たちを通して神のみことばである旧約聖書を解き明かされることによって初めて博士たちは救い主のもとに導かれました。

三、日常生活での礼拝(マタイ2章12、ルカ2章20節)
 羊飼いと博士たちはそれぞれ、幼子イエスのもとを訪れ、心をこめて礼拝しました。そして、それぞれ自分たちの日常へと『帰って行った』(マタイ2章12、ルカ2章20節)。しかし、彼らの礼拝はこれで終わりにはしなかったでしょう。ひとたび救い主を知り、信じ、礼拝した者は、たとえ礼拝の場所から帰っても、主が彼らの日常生活でも共におられます。日常が礼拝と奉仕の場となるのです。クリスマスが終わっても、教会で、家庭で、職場で礼拝はひきつづきおこなわれるのです。

* 救い主を礼拝する

上部へスクロール