偉大な信仰の導き手(中川 博)

「キリストイエスの良い兵卒としてわたしと苦しみを共にしてほしい」第二テモテ 二の三

幾度かクート師から聞かされた御言葉です。
こうしていると本当に多くの事が思い出されます。偉大な信仰の師の伝道の熱心を―――

戦後のあの混乱期に、以前釜ヶ崎”と呼ばれていた一角に救霊会館が開かれました。そこは大変汚れたところでした。戦後の一期生だった私達学生は毎日授業が終ると、その伝導の為に購入された場所の整地に出かけ、ヒロポンのアンプルや汚物の清掃に文句も云わず汗を流しました。それも日本人の魂に重荷を持って一生懸命だったクート師の伝導に対する情熱にひっぱられたと云って もよいでしょう。

やがて旧会堂が建ち、毎晩伝導集会が持たれるようになりました。クート師の火のようなメッセージを聞きながら、学生達は身体で伝導を教えられました。ある時は非常にきびし く、又ある時は思いがけないやさしさで伝導の意欲を学生達に植えつけてくださったクート師はとにかく”雄々しい信仰の勇士” ”偉大な師”でありました。現在その伝導によって導かれた幾人もの魂が尊い主の器として活躍しておられる事実を思いますとき、主の祝福が師とともにあったことを知ります。

実に多くの事を学びました。今牧会に立ちながら折にふれ、又年月が経てばたつほど伝道にその生涯を捧げられた信仰の父の教えを思い出します。

”神以外に絶対よりたのんではいけないこと”
”みことばを語る時は、命がけで語ること”

なども、あの救霊会館の毎晩の伝道集会、学院の生活の中で教えられた大切なことです。今しみじみと思います。地上に於てこの感謝の気持を伝えるチャンスのなくなってしまったこと本当に残念です。しかしクート師から学んだみことばの宝と、伝導の熱心を大切に思いつく、やがて主の御国で相まみゆる日をたのしみにしています。

よき師を与えてくださった主に心から感謝するとともに、師の残された神の事業の上に御祝福豊からあるよう祈ります。
”神の言をあなたがたに語った指導者たちのことをいつも思い起しなさい。彼らの生活の最後をみて、その信仰にならいなさい。”ヘブル十三の七

小川イエスの教会 牧師

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