この度、クート先生の追憶集が刊行される運びとなりました事は、師を尊敬する者にとっては大きな喜びでございます。
まず主が日本の魂のために与えて下さった尊い御器のゆえに今も心から感謝致して居ります。男子が一生の間、自分の家を一戸建てるだけでも一つの事業と云われる中で先生が日本、米国、韓国の三ヶ所に聖書学院、又各地に教会を設立されました事は超人的で「信仰の器」と云われた所以でございましょう。
私がクート先生に教えを受けましたのは先生が晩年の時でございましたが、旧約の学者としての霊的悟りは深く各国で用いられなさった事も大きなお働きでございました。先生が旧約のみふみをひもとかれますと教室の中は主の霊がヒタヒタと波のように押しよせ、霊の恵みの中で私達は祈らずにおられなくなった事が思い出されます。
「多くの人は私を信仰の賜物を受けた人と云いますワ。しかしだよ、私は信仰の恵みを知っている者です。」
その特徴あるアクセントで語られた先生の、主にある言葉は、その一つ一つが味い深いものでございました。一年の内、日本におられる期間は三ヶ月程でしたが教室、事務所、印刷場と御老体にも拘らず動かしつけ、私達に身をもって、信仰と実践の模範を示して下さった方で、印象に残る講義や、折にふれての会話は、今もそのお姿、動作、表情までも目に見えるように鮮によみがえって参ります。
ある日も救霊会館で創生記出エジプト記を通し「勝利」についてメッセージを頂いた帰途、
「私は少し疲れました」
「先生どうぞ長生きして講義して頂きとうございます。 カレブは八十五才で尚健かでした」
「わたしは八十五にもなりませんワ」
「モーセは百二十才まで生きました」
先生は突然立ち止って「あい、もし、主が私にそれを許して下さるなら、私には嗣業があります」
上を仰いで夢みるように仰云った先生。
多くの責任と仕事。 御老体のゆえに極度の疲労を覚え乍ら、「嗣業あり」と語られた先生の内には主に対しての燃えるような熱情があふれ、地下鉄までお送りして後、電車の中で必死になって祈った事も昨日の如く思い出されます。
お喜びの時は子供のように愛らしい笑顔を見せ、学生や働き人の一人一人にまで常に心を配っておられた器、あれもこれも書き切れない程でございます。いつかも礼拝の折「六四一番」を讃美していますと急に歌をおやめになって、両手を高く挙げ「わたしは、イエス様にまも 相まみえますワ」と喜びに満ち溢れ讃美なされました。先生の前には義の冠が輝いていた事でございましょう。
神が選ばれ 用いられた師の全てを尊敬し、感謝します。
キリストが私達の心の中に生きてゆき給う如く、師は今も我が心の内に生き、励ましとなっている 事を深く覚えさせられます。
「げに信仰と希望と愛とは限りなく存らん」
主の息吹きと、師の教えを受けられた多くの聖徒が現在も各地で主の事業を受け継いで居られます 事は、永遠の安息の中に居られる先生にとって何よりも大きな喜びでございましょう。
婦人伝道者