「兄弟よ、出ていらっしゃい!!今晩があなたに取って恵の日、救の日です。後になって主よ開き給え。 主よ開き給えと、どんなに天国の扉を叩いても駄目です。今すぐ出ていらっしゃい」
力強い声で迫られるクート先生の招きに私は思わず恵の座に走り出しました。昭和十二年五月十五日の夜 の事でした。福岡市にあった基督教伝道館の主催によるクート先生の天幕伝道の最後の夜の事でし た。その後クート先生は韓国伝道の途中度々福岡を訪ねて下さいました。聖霊に満された力強いクート先生のメッセージの当時若かった私の心は救霊へ献身へと火のように燃されました。
昭和十五年クート先生はアメリカへ引あげられましたが、二十五年再び生駒にお帰りになり、生駒聖書学院を再開なさるというニュースを聞いた時、取るものも取りあえず生駒へ馳せつけました 見ると戦前より一段と肥られ貫録のついたクート先生は大阪救霊会館の建設に又戦前関西に散在していた日本ペンテコステ教団の諸教会の再建に、そして又韓国伝道の再開にて全く席暖るひまもな いように活動されていました。私は福岡教会よりの献身者を連れて生駒聖書学院に行く度に一週間十日と泊り込んで、先生と交り先生の長い伝道体験を通しての教訓を深く深く教えていただく事ができました。
その後、九州にあるキリスト伝道団の諸教会を幾度も訪れては聖会に伝道会に講師として喜んで奉仕して下さいました。クート先生が日本人の救霊と伝道者の養成に凡てのものを献げつくし使い 果して米国にお帰りになり、彼の地より召天なさったとの事をお聞きした時、心の中に大きな穴が ポカット開いたような淋しさを感じました。
しかし、クート先生を通して導かれた多くの人々が、そして又生駒聖書学院で育てられた人々が 牧師として、伝道者として日本全国に散在して活躍している事を思うとき、神がこの聖徒を日本に 起し、残さして下さった大なる主の御業を見る時神の御力の大なる事を私達は改めて確認せなければなりません。
そして、クート先生を通して導かれ育てられた私共が一致し心を合せて、日本に於けるペンテコステの旗を高くかかげて戦い進まなければならない事を心深く覚えます。
基督伝道団福岡教会牧師