『わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。』 (ヨハネ11章25節)
一、マリヤに現れたイエス (ヨハネ20章1ー18節)
日曜日の朝、まだ暗いうちにマグダラのマリアはイエスの墓にやって来ました。当時のユダヤの墓は横穴式で、入り口に石をおいてふたをします。ところが、墓に着いてみると
その石がわきに転がされているのです。びっくりしたマリヤは、急いでペテロとヨハネに知らせに行きました。イエスの遺体がなくなっていると知らされ、ペテロとヨハネもすぐに墓に向かいました。先に着いたヨハネが墓の中をのぞくと、イエスの体を包んであった布が置いてあるのが見えます。ペテロは墓の中に入ってみました。墓の中には、イエスの身体を包んであった布と、少し離れた所にイエスの頭に巻かれていた布があります。ヨハネが入って来ました。ヨハネは、誰かがイエスの体を持っていったのではなく、イエスがよみがえられたのだと信じました『見て信じた』 (8節)。
ペテロとヨハネが戻っていった後、マリヤが墓の中をのぞくと二人の天使が見えます。
天使たちとの会話を交わしたマリヤは後ろを振り向来ました。すると、そこにイエスが立っておられたのです。けれどマリヤは管理人だと思って『わたしの主のお体をどこに置いたのですか』と尋ねました(16、17節を読みましょう)マリヤは戻って、イエスに出会ったこととイエスがおっしゃったことを弟子たちに話しました。
二、トマスに現れたイエス(19ー29節)
その日の夕方、イエスは弟子たちの前に姿を現されました。19、20節を読みましょう弟子たちはどんなに喜んだことでしょう。
ところが、12弟子の一人のトマスはその場にいませんでした。弟子たちはイエスにお会いしたことをトマスに話しますが、トマスは『自分でイエス様の傷跡を確認しなければ信じない』と言います。
次の日曜日、イエスはまた弟子たちのところにいらっしゃいました。今度はトマスもいます。27ー29 節を読みましょう。トマスはイエスがよみがえられたことを信じ、イエスが自分の主であり神である告白したのでした。『わたしの主。わたしの神。』
三、イエスの復活の意味(30、31節)
イエスは、死からよみがえったことによって、死の力に打ち勝ってくださいました。
アダムとエバが罪を犯したことによってこの世に死が入って来ました。しかし、神はその時、人間に救いの道を用意すると約束してくださいました。この約束はイエスの十字架と復活によって実現しました。イエスは、死や罪に対して完全な勝利を収められたのです。
31節を読みましょう。最後のところに、『あなた方が信じて、イエスの御名によっていのちを得るため』と書いてありますが、死から復活なさったイエスを信じるならば、イエスの名によって永遠のいのちを頂くことができるのです。復活されたイエスを信じる信仰こそ、永遠のいのちの源です。
救い主イエスの復活は、そのことを信じる私たちが罪に死んだ状態から新しい
いのちと使命に生き始めるためなのです。
* 復活の主を信じる。