『あなたは、生ける神の子キリストです』 (マタイ16章16節)
背景=ペテロは、イエスがガリラヤ伝道を始められるとすぐに、弟子としての召命を受けました。『わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう』とのイエスのことばに従い、網を捨て弟子となりました。身分の低い、ガリラヤの無学な漁師でしたが、イエスのために働く意志と情熱をもっていました。人間的な弱さのため失敗も経験しましたが、その率直な性格に共感を覚える人々も少なくないようです。
一、水の上を歩く(マタイ14章22ー33節)
神は疑う余地のない完全なお方ですが、人間の不完全さのゆえに私たちは不信仰になることがあるのです。
この出来事が起こったのは、イエスが五つのパンと二匹の魚で五千人を養った奇跡の後でした。群衆は興奮し、イエスのもとを離れようとしませんでした。この方こそ、自分たちの王となるべきメシヤであると思っていたのです。また、その願いは、弟子たちの心の中にも常にあることでした。
イエスが共におられない時に、しかも真夜中のガリラヤ湖上で弟子たちが嵐に悩まされていたのは大きな試練でした。吹きまくる風や荒れ狂う大波は、ガリラヤ湖の経験豊かな漁師にとっても恐ろしいものでしたそんな時、弟子たちは、湖上を歩いて来られるイエスを幽霊と思い、恐怖の叫び声を上げたのです。しかし『しっかりしなさい。わたしだ』と声をかけられた方が、弟子たちの愛し慕うイエスだと分かると恐怖はすぐ去りました。ペテロは興奮し、愛する主のもとに行きたいと願いました。そのペテロが沈みかけたのは、耳を打つ風の音や波に気を取られたとたんです。『来なさい』とのイエスのことばに信頼し、イエスを信じ見つめていた時には湖上を歩くことができたのです。他の弟子たちは、風や湖を支配するイエスのうちに神の力を認めましたそして、驚きと崇拝の中で『確かにあなたは神の子です』との告白がなされたのです。
二、信仰告白(マタイ16章13ー20節)
ここで人々が言っている4人の人物は、ユダヤ人がとても尊敬している人たちです。しかし、この四人の人物は、ユダヤ人がとても尊敬している人たちです。しかし、この四人はあくまでも人間であり、神のみ旨を伝え、キリストを知らせるために遣わされた人々です。それに対して、ペテロの告白は、イエスこそ旧約聖書が指し示し、ユダヤ人が待ち望んでいたメシヤであることを明確にしています。これは、ペテロの能力や努力によって知り得たものではなく、神が啓示されたものでした。イエスは救いを成就するために来られた油注がれたメシヤです。そして、生ける神のひとり子であることが告白されているのです。
イエスはペテロの告白を喜び、満足されました。ペテロを岩と呼び、この岩の上に私の教会を建てると語られました。これは、ペテロに特別な権威を与えられたわけではなく、弟子たちを代表してなされたこの告白の上にキリストの教会が建てられるという意味です。私たちも、ペテロの告白を自分の告白とし、キリストにしたがっていく歩みをさせていただきましょう。