『イエスはますます知恵が進み、背たけも大きくなり、神と人とに愛された。』
(ルカ2章52節)
And Jesus grew in wisdom and stature , and in favor with God and men.
( Luke2 : 52 ) New International Version.
一、神の家にとどまるイエス(ルカ2章52節)
イエスが12才になられた時のことです。信仰深い両親はユダヤ人の慣習に従い、過ぎ 越しの祭りにイエスを連れてエルサレムに行きました。そして、礼拝をささげてから帰るつもりでした。一家は、大勢の知人や親族と一諸に帰路についたので しょう。ずいぶん時がたってからイエスのいないことに気づいた両親は、あわてて引き返し、イエスを捜しました。
二、イエスと両親(ルカ2章46ー50節)
そして三日後に神の宮にいるイエスを発見しました。イエスはすでに、神の子であるとの自覚をもっておられたようです。両親が見つけたのは、イエスが神の宮 で聖書の教師たちと対等に論じている姿でした。しかも、人々はイエスの知恵と考えに驚いていたといいます。ところが、両親にとって愛する子供がいなくなっ たっということでとても心を痛めていました。当然のことだと思いませんか。マリヤはこれまでさまざまな形でイエスが神の子であることを体験してきたはずで す。それでも自分のおなかを痛めた自分の子供として育ててきました。だからあっさりと割り切ることなどできないのです。それで、イエスを責めました.『ど うして私たちにこんなことをしたのですか』と。
しかし、イエスは『どうしてわたしをお捜しになったのですか、わたしが必ず自分の父の家にいるこ とを、ご存知なかったのですか』と答えられました。母は、肉親としての関係を主張しましたが、イエスはご自分が神の子であることを改めて両親に確認させよ うとなさったのです。けれども残念なことに、両親はその時はイエスの言葉の意味を十分に理解することができませんでした。
三、仕えられるイエス(ルカ2章51、52節)
この時、イエスはわがままな自己主張をなさったのでも、両親に対して不遜な態度をとられたのでもありませんでした。あくまでも、父なる神とご自分の関係を説明なさったということです。ですから、イエスは、その後、両親と一諸にナザレに戻られました。
まだ、イエスが働き始めるまでしばらくの年月があります。その間の具体的なことは何も聖書に記されていません。非常に簡単に『仕えられた』と書かれている だけです。しかし、両親に仕えられたということばの意味を深く考えましょう。神の御子であるお方が、その立場を自覚しながらも、従順に人の子であることを 受け入れておられたということです。
こうした一連の出来事を見ていたマリヤは、その時はよく理解できませんでしたが、しかし、それを心に留めました。わからない中で、けれども謙虚に神の導きにゆだねたということでもあります。性急な判断をせず、神が教えて下さる時を待ったのです。
イエスは神の御計画とご自分の使命に従おうとなさいました。そして同時に、人にも従順にお仕えになりました『神と人とに愛された』という意味がここにあるのでしょう。