『救いは主のものです。』(ヨナ 2章9節)
ヨナは、ニネベへの預言者としてあまりにも有名です。イスラエルはアッシリヤ帝国に脅かされていました。それだけに、その首都ニネベに行けという神の御告げはヨナにとって心の重い努めであったが、神のことばにはどのようなときにも従わなければなりません。
一、ヨナ、主から逃れる。(ヨナ 1、2章)
主は、『立って、あの大きな町ニネベに行き、これに向かって叫べ』と語られました。
しかし、ヨナは主のみ顔を避けてタルシシュに逃れようとし(3章10節)、ヨッパに下って船に乗りました。ヨナはなぜ主のみ顔を避けて逃れようとしたのでしょう。彼は愛国者であってニネベが救われるのを好みませんでした、ニネベは大きな町なので恐れた、など多くの解釈があります。
理由はどうあれ、問題は『主のみ顔を避けて』逃げたことにあります。彼は預言者でありながら、主のみ顔を避けて逃れることが出来ると考えていたのです。主の臨在を知っていながら、主のもとから逃れることができると思っていたのです。彼は、神のことばに従わず、自分の考えによって行動したのです。
二、ヨナ神の言葉を伝える。(3章)
ヨナは、暴風に見まわれ、大きな魚にのまれて、もとの地に連れ戻されました。その時、再び、主のことばがありました。『立って、あの大きな町ニネベに行き、わたしがあなたに告げることばを伝えよ』ヨナはニネベに行き『もう四十日もすると、ニネベは滅ぼされる』と叫びました。
すると、ニネベの人たちはただちに神を信じ、すべての者たちが悔い改めたのです。
それは、ヨナの予想を超えることでした。ヨナは驚きました。主のことばは、それを語る預言者さえ信じることができないほど、生きて働くのです。そして神は、ニネベに下そうとしておられた災を思い直し、滅びから救われたのです。主のことばは、生きて働くものです。私たちもそれを信じ、伝える者になりましょう
三、ヨナ、主に訴える。(4章)
神がニネベを救われたことは、ヨナにとって不愉快なことでした。彼は、タルシシュへ逃れようとしたわけを主に訴えました。主が情け深く、恵み豊かは方であることが、彼の訴えている理由です。それは、不思議に思われるが、自分にではなく敵に対してもそうであることが耐えられなかったのです。ヨナの自己中心なあり方は、とうごまが枯れた時も同様でした (8節)。
神は、そのようなヨナを戒めて言われます。『あなたは自分で骨折らず、育てもせず、一夜で生え、一夜で滅びたこのとうごまを惜しんでる。まして、わたしは、この大きな町ニネベを惜しまないでいられようか』『惜しむ』ということばが繰り返し用いられていますが,それはイサク(創世記22章12節)とイエス(ロマ8章32節)とに関して使われ、神の絶対の愛が強調されています。ヨナは、自分のことや民族のことしか考えていませんでしたが、主はすべての国民が救われることを望んでおられます。その絶対の愛を私たちも学びましょう。
* 9月30日
ヨナ
主題=神に矯正され、神のために働く。