ヤイロの娘の癒し

恐れないで、ただ信じなさい。    (マルコ5章36節)

Fear not, only believe.( Luke 5 : 36)

一、イエスに願い出たヤイロ(マルコ5章21ー24節)
 イエスのもとにやってきた大勢の人々の中に、会堂管理者であるヤイロという人がい ました。この人はイエスを憎んでいたパリサイ人の一人であったと思われますが、死にかけている娘をいやしてくださるのは、イエスしかいないと思ったので しょう。周りの目も気にせず、イエスの足元にひれ伏し、必死で願ったのです。23節を読みましょう。
「神様は私たちの心の中を全てご存知なのだ から、祈っても祈らなくても同じだ」という人がいます。しかし、心の中の願いを主に申し上げることは、とても大切なことです。ヤイロもイエスにきちんと願 い出ることによって、イエスが愛をもってその願いにこたえてくださる方であることを、やがて具体的な経験としてはっきりと知ることができました。私たち は、一つ一つ願いを主に申し上げることを通して、確かに主が存在し、私たちを愛し、私たちのどんな小さな語りかけにも耳を傾けて下さることを知るという経 験をします。そして、その確かな経験を積み重ねることによって主との交わりをさらに深めていくことができるのです。

二、病をいやされた女の信仰(マルコ5章25ー34節)
  イエスがヤイロの家に向かう途中一人の女性に出会いました。この女性はとても悲しい過去の持ち主でした。25、26節を読みましょう。この人も、ヤイロと 同じように、主のみもとに行けば必ず病気はいやされると信じていました。そしてその大きな信頼の心をもって、押しあいへしあいしている大勢の人に紛れ、イ エスのの着物にそっと触ったのです。27ー34節を読んでください。
 イエスは、信頼をもってご自身に近づく者を、決してお見捨てになりません。私たちも、主の導きと力を期待して、主の前に問題を差し出すならば、主は、必ずその信頼に報い、解決してくださいます。

三、ただイエスの愛、主のことばを受け入れる信仰(マルコ5章35ー43節)
 さて、ヤイロの娘はどうなったでしょう。35節を読みましょう。ヤイロは大く心が揺れたことでしょう。しかし、イエスは36節のおことばをヤイロにおかけになりました。そして、娘を元気に生き返らせてくださったのです。37ー43節を読んでください。
『信 仰』と言うと、とても難しく感じます。「信仰深く」なるためには、どんなふうに努力したり励んだりしたらよいのだろう。と思ってしまうのです。しかし『信 仰』という世界に努力は必要ありません。赤ちゃんがどんなときもお母さんの愛を疑わないように、主の愛をありのまま受け入れ、主のおことばをそのまま素直 に信じて心安らかにしていることが、信仰なのです。主がいやしてくださることを一心に信じて、御衣に触った女性のように、ただ主を信じましょう。ヤイロに 声をかけられた主は、心配してくよくよ悩む私たちにも『恐れないで、ただ信じなさい』と語りかけてくださいます。

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