パウロの回心

 私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのため死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。(ローマ5章8節)

一、教会への迫害(使徒8章1ー3節)
 ステパノが殉教した時、その死の現場にいたサウロ (パウロ)は、ステパノには殺されるべき正当な理由があると考えていました。サウロは律法を守ることに熱心なパリサイ人だったので、十字架上で死んだナザレ人イエスを救い主だと伝えているステパノに、激しい憤りを感じていたのです。ですからサウロは、ステパノの死後も、イエスの弟子たちに対する迫害の手を緩めませんでした。イエスを救い主 (神) と信じる者を『異端者』として次々に牢に入れたり、手荒なことを続けていました。そうすることが神に喜ばれると信じて疑わなかったのです。
 迫害された信者たちは、エルサレムから周囲の町々へと散らされていきました。

二、サウロの回心(使徒9章1ー9節)
イエスの弟子たちに対するサウロの敵意と憎悪は、ますます大きくなっていきました。
散らされた信者たちを捕らえ、牢に入れても良いという許可状を大祭司から得て、サウロはダマスコに向かいました。ところがダマスコを間近にしたサウロに、主イエスが現れたのです。イエスは、まばゆいほどの光をサウロの上に照らすことによって、そして『わたしは、あなたの迫害しているイエスである』という声によって、ご自分を現されました。
サウロはこの現象から、イエスが神に遣わされた救い主であったと悟ったに違いありません。自分が良かれと思ってしてきた迫害が、実はそのお方に向けられてたと知って、相当のショックを受けたことでしょう。しかし主は、そんな彼に、これからなすべきことを教えてくださいました。
 サウロの同行者たちには、声は聞こえても、何が何やらわかりませんでした。主イエスがサウロに個人的にお会いになったからです。目が見えなくなったサウロは、人々に手を引かれてダマスコの町に入って行きました。

三、サウロの宣教(9章10ー22節)
 主は、サウロを正しく導くために、アナニヤという弟子を用いられました。サウロに会いに行くように命じられたアナニヤは、サウロの評判を聞いていたので、驚き、戸惑いました。無理もありません。そこで主は、ご自分がサウロのために用意しているご計画を、アナニヤに話してくださいました。アナニヤは、主のことばに従ってサウロのところに向かい、彼の上に手を置いて『兄弟サウロ』と呼びました。するとサウロは再び目が見えるようになり、罪を悔い改めてバプテスマを受けました。そしてただちに、イエスは神の子であると宣べ伝え始めたのです。
『回心』とは『心を回す』と書きます。今までの人生の方向をまったく変えて、これまでとはちがった道を歩むという意味です。サウロは、イエスに敵対する迫害者から、イエスのために生きる宣教者へと回心したのです。

* 神は、敵対するものをも造り替え、ご自身の器として用いてくださいます。

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