パウロ ローマにて

 信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠の命を獲得しなさい。 (1テモテ6章12節)

一、ローマで軟禁される(使徒28章11ー16節)
 パウロたちは、地中海を流され、やっとマルタ島に着きました。それはシチリヤ島の南方約百Kmにある小さな島で、、彼らはそこで温かくもてなされました。そこで冬を過ごし、南風が吹いてきたので帆を上げて出航し、ポテオリ港に着きました。そこから、ローマに到着し、多くのクリスチャンたちに迎えられました。パウロは、使徒としてではなく囚人としてローマに着いたのですが温かく歓迎され、福音を伝えることを許されたのです。ローマの番兵がついて軟禁状態ではありましたが、自分が借りた家に自由に住むことが出来ました。ローマ法による犯罪人ではなく、ユダヤ人たちの宗教上のことで訴えられていることを、ローマ当局者がよく知っていたからでしょう。

二、ローマで福音を伝える(使徒 28章17ー28節)
 パウロは、自由に出かけることが出来なかったので、ユダヤ人たちを家に招いて福音を伝えました。彼は、ユダヤ人としても、先祖の慣習に対しても、訴えられるようなことは何もしていませんでした。ただイスラエルの希望であるイエスについて語っただけであり、何一つ罪は犯していません。パウロは、ここでは弁明に注ぎ、福音を述べ伝えることに力を注いでいます。『モーセと預言者たちの書によって、イエスのことについて彼らを説得しょうとした』(23節)。パウロの宣教に、ユダヤ人は積極的な反応を示しませんでした。ある者たちは、信じましたが、多くのユダヤ人は信じようとしませんでした。そこで、彼はイザヤの予言を引用して、彼らの不信仰を責めています。

三、ローマで過ごす(使徒28章30、31節)
 パウロは、アジヤにいた時を同じように、ローマにおいても、ユダヤ人から異邦人宣教に向かうことを宣言します。『神のこの救いは、異邦人に送られました』ローマ9章1ー5において、パウロは同胞ユダヤ人の不信仰を悲しみローマ9?11章においてユダヤ人の救いについて語る。それは『ユダヤ人の一部が頑なになったのは異邦人の完成のなる時までであり、こうして、イスラエルはみな救われる』(ローマ11章25、26節)という神の救いの奥義でもあります。
 パウロは、自分で借りた家に住み、訪れてくる者たちを皆迎えて、自由に福音を述べ伝えることができました。名目的には、軟禁されていましたが、実質的には自由に伝道ができたのです。そのようにして、世界の中心であるローマに福音が伝えられ、多くの人々が救われました。そして、ローマ教会がつくられていくのですがその構成から見ると、ユダヤ人より異邦人が多く救われたようです。パウロはその生涯の終わりに至るまで、イエス・キリストの福音を述べ伝えて変わることがありませんでした。私たちも、その宣教の姿をしっかり学びましょう。

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