バプテスマを受ける

天からこう告げる声が聞こえた。『これは、私の愛する子、わたしはこぶ』

(マタイ3章17節)

And a voice frontheaven said "This is my Son, whom I love; withhimi am well pleased." (Mattrew 3 : 17 ) New Intenational Version

一、バプテスマのヨハネ(マタイ3章1−6節

紀元26年頃、神のことばが荒野でザカリヤの子ヨハネに下った (ルカ3章2節)。彼はイエスの親戚であり(ルカ1章36節)生まれる前から『主の前に先立って行き、その道を備え』ることが定められていました。(1章 76節)つまり、やがてキリストによって始まる神の国の支配を迎える準備をすることが彼の使命であり、具体的には、人々の罪を大胆に指摘して悔い改めさ せ、罪を赦されるためのバプテスマを授けること、人々の心をメシヤであるキリストに向かわせることでした。
 当時は異邦人がユダヤ教に入るために割礼とともにバプテスマを受けたが、ヨハネのバプテスマは、自分の罪を認めて悔い改め、やがてメシヤの来臨によってその罪が赦される
という信仰の告白でした。彼はバプテスマのヨハネと呼ばれ、そのいでたちや暮らしは、 エリヤの再来と預言されるにふさわしいものでした(4節、マラキ4章5、6節、㈼列王1章8節)。
 ローマ帝国の支配下にあって苦しい生活を強いられていた人々は、全地域から出て来てヨルダン川でバプテスマを受けました。

二、バプテスマを受けたイエス(マタイ3章13−15節)

 イエスのバプテスマについて、すべての福音書が記録しています。ヨハネの宣教とバプテスマに賛同しておられたイエスは、バプテスマを受けるという明白な目的をもってガリラヤからヨルダンを訪れ、バプテスマを受ける人々の列につかれました。
  イエスが誰であるかを知っていたヨハネは、最初、イエスの申し出に躊躇しました。ヨハネは自分の立場を認識していたし、罪のない方を悔い改めのバプテスマ を施すことはできないからです。しかしイエスは『すべて正しいことを実行するのは、わたしたちにふさわしいのです』と言われました。バプテスマを受けられ たのは、罪の悔い改めのためではなく、神のみこころに従うためでした。『主はすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それは民の 罪のために、なだめがなされるためなのです』(ヘブル2章17節)とあるように、人類の救いの計画を達成するために、どうしても必要なことでした。罪のな いお方が、完全に人間の立場に身を置いて下さったのです。

三、神の証言(マタイ3章16、17節)

 バプテスマを受 けて水から上がられたイエスは『天が開け、神の御霊が鳩のように下って、自分の上に来られるのをご覧になった』『神の御霊』はルカ3章22節では『聖霊』 となっており、『鳩』は当時、神の御霊を表すために象徴的に用いられていました。続く天からの声によって、
イエスが神であり、メシヤであることが明確に示されました。創世記 22章2節、詩篇2篇7節、イザヤ42章1節などを引用したことばで律法、詩篇、預言者という旧約聖書の全体を用いた神の証言と言うことができます。
 この超自然的現象に接したバプテスマのヨハネは『私は見たのです.それで、この方が神の子であると証言しているのです』(ヨハネ1章34節)と述べています。

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