ダビデとヨナタン

主題  ダビデとヨナタン                             
    主にあって結ばれた友情。
聖書箇所=?サムエル18ー20章
聖句=『ダビデの行く所、どこででも勝利を収めた。主が彼とともにおられた』
                               (?サムエル18章14節)
*サウルの息子ヨナタンは軍事能力に優れた王子で、ペリシテとの戦いにおいてサウルから千人の兵を任されていた。『主がわれわれに味方るであろう。大人数によるのであっても、小人数によるのであっても、主がお救いになるのに妨げになるものは何もない』(14•6、)と言いきる勇士であり信仰者でした。神はその信頼に応えてイスラエル軍を励まし、勝利をお与えになりました。ヨナタンは父王の軽率な采配から戦士たちを守ったので、彼が危機に瀕した時、イスラエルの民はその命を助けました (14•24−30、45)
サウルの跡を継いで王となるべき立場にあり、力量も備えているのにもかかわらず、神の心がサウルから離れた今、ヨナタンにはその機会が閉ざされていました。

一、ヨナタンとの友情(?サムエル18章1−4節)

 サウルの子で、王子でもあったヨナタンはダビデを自分自身のように愛し、一生変わらない友情を誓いました。ゴリヤテに勝利したダビデの信仰者としての姿や(17章)自分の父サウル王と話す彼の人柄に、大いに心引かれたのでしょう。それは、ヨナタンもまた、神を信じる誠実な人だったからです。こうして二人は、共に神を見上げる仲間として、友情を築いていきました。
 人の内側から溢れてくる心の美しさや、どんな時でも神を見上げて信頼するクリスチャンの揺るがない姿は、人の心を引きつけてる魅力を持っています。お互いを愛するダビデとヨナタンのように、神を見上げ、思いやる友情を築いていきたいものです。

二、サウルの妬み(18•5−19•10、)

ゴリヤテを倒し、ペリシテ軍との戦いに勝利して帰ってきたイスラエルの戦士たちを、民は喜んで迎えました。しかし『サウルは千を打ち、ダビデは万を打った』という女たちの歌を聞いたサウルは、人々の人気を集めるダビデを妬むようにようになりました。そして、王位を脅かす者としてダビデを疑い、命を狙うようにまでになったのです。ある時は、自分のために琴を弾くダビデに槍を投げつけました。それが失敗すると、
ダビデを千人隊長に昇格させ、ペリシテ人との戦いの前線に送りました。また、ダビデを愛する自分の娘まで利用して、ダビデが戦死するように企てました。ところが、計画はことごとく裏目に出ます。ダビデはいつも大勝利を収め、ますます人々の尊敬を集めてしまうのです。18•12、14、28、29、を見てみましょう。主がダビデと共におられることが繰り返し記されています。これが、すべての戦いで勝利し、ダビデの命が守られたことの要因でした。そして、神がダビデの命が守られたことのの要因でした。そして、神がダビデと共にいることがはっきりすればするほど、サウルはダビデを恐れました。
 やがてサウルは、ダビデへの殺意を周囲にも明らかにし始めました。ヨナタンはダビデとサウル王の間を執り持とうと努力しましたが、王の殺意は変わらず、ダビデはサウルのもとを去って逃亡者となりました。

三、ヨナタンとの別れ(20章 )

 ヨナタンは、サウルの息子であり、ダビデの親友でもあるという立場で、とてもつらい気持ちだったでしょう。しかし、ヨナタンはダビデの味方として尽くしました。12−23節を読みましょう。ヨナタンは、
彼を頼ってやってきたダビデに、新月祭の場を利用してサウルの真意を確認し、ダビデを安全に逃がす計画を提案しました。そして、ヨナタンとその子孫に恵みを施すという契約を交わし、新月祭を迎えました。
 30ー42節ー新月祭でサウルの殺意が明らかになると、ヨナタンは自分の心配より、ダビデのために心を痛めました。そして翌朝、打ち合わせどおりダビデを安全に逃がしました。ダビデとヨナタンの別れのシーンは胸を打ちます。ヨナタンは別れ際に、以前交わした誓いをもう一度確認しました。
 やがて王となったダビデは、ヨナタン息子メフィボシェテを自分の息子のように迎え、ヨナタンとの誓いを果たしました。(?サムエル9章1−7、)
(祈りましょう)

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