東大阪エリムキリスト教会 竹腰明人
ダニエルの祈り
今年の新年の祈り会に、中国の方が来られましたので、今の中国の事を聞きましたら、
「去年くらいから、子供は教会には行ってはいけないという法律が出来ました。ですから、今、子供たちは教会にこれなくなっており、親が家で子供たちに聖書の事を教えています。」という事でした。けれども、そのような迫害が続く中にあっても、中国のクリスチャンは増えているとも聞くことが出来ました。
今日は、危機的な状況を祈りのよって乗り越えたダニエルを見て行きましょう。
■ダニエル
サムエル記 列王記・歴代誌 ダニエル書
ダニエルは、南ユダに住むユダヤ人でしたが、バビロンの王ネブカドネツァルに捕らえられ、異教の地、バビロンへと連れ去られてしまいました。けれども、ダニエルには神の霊が宿っており、人格的にも非常に優れていましたので、王に仕える大臣として、その後の歴代の王様にも、お仕えしたのです。
ダニエルは、ダレイオス王にも特別に愛され、120名の大臣の上に立つ、国のトップ3の大臣の長として任命されました。ダニエルはユダヤ人の捕虜でしたから、他の大臣たちは、ダニエルを妬み、処刑する策略を練りました。
6:6 それでこの大臣と太守たちは、王のもとに押しかけて来て、こう言った。「ダレイオス王よ、永遠に生きられますように。
6:7 ・・・今から三十日間、王よ、いかなる神にでも人にでも、あなた以外に祈願をする者は、だれでも獅子の穴に投げ込まれる、と。
6:8 王よ、今、その禁令を制定し、変更されることのないようにその文書に署名し、取り消しのできないメディアとペルシアの法律としてください。」
6:9 そこで、ダレイオス王はその禁令の文書に署名した。
ダレイオス王は、沢山の大臣や太守の機嫌を損ねたら、やっかいな事になりますので、まぁ30日間の期間だけだからと、気軽な気持ちで、あまり深く考えもせず、その法律にサインをしてしまったのかもしれません。それが、とんでもない事を引き起こすとは知らずに。ダニエルは、30日間だけ、部屋の窓を閉めて、心の中でお祈りをして、30日が過ぎたら、また窓を開いて、ひざまずいてお祈りをすればよかったのですが、主の前に、妥協する事なく、主を信頼していつものようにお祈りしたのです。
6:10 ダニエルは、その文書に署名されたことを知って自分の家に帰った。その屋上の部屋はエルサレムの方角に窓が開いていた。彼は以前からしていたように、日に三度ひざまずき、自分の神の前に祈って感謝をささげていた。
このダニエルの姿勢から学べる事がいくつかあります。
? 祈りを最優先した
ダレイオス王はダニエルを愛し、特別に扱われていましたので、ダニエルは真っ先にダレイオス王の所に行き、助けを求める事もできましたが、まずは、神の前に行き、祈ったのです。
ダニエルは祈りこそ、第一に優先すべきことを知っていたのです。
アメリカの歴代大統領で、最も尊敬されているアブラハム・リンカーンの名言ですが、
「もし8時間、木を切る時間を与えられたら、そのうち6時間は私は斧を研ぐのに使うだろう」という言葉があります。6時間も斧をとぐなんて、時間の無駄。なんと効率の悪い事をするのかと思います。けれども、しっかりと研がれた斧を使う事により効果的に、木を切り倒す事が出来るという事です。この言葉は、何事も、自分の力を過信せず、しっかりと準備をすることが大切だという教えですが、祈りにも適応出来ると思います。祈る時間が無駄に思え、祈りをおろそかにして、色々な物事に取り組んでしまう事が多々あるかと思います。ですから、
今まで、あまり祈る事をせずにしていた事があるなら、まずは、お祈りしてから取り組んで見てはどうでしょうか? あまり成果がでなかった事に、成果が出始めたり、思うような方向に進まなかった事が、良い方向に進み出したり、期待以上の事が起こり始めるかもしれません。
? 自分の力で出来る事も、お祈りしてから始めましょう。
ダニエルは、危機的な状況に陥り、慌てて祈りだしたのではありません。「困った時の神頼み」の人ではなかったのです。「困った時の神頼み」とは、困った事が起きたり、追い詰められた時だけ神様や、周りの人に助けを求める事です。そして、問題が解決すれば、神様も周りの人からも、遠ざかっていってしまうという人間の身勝手さを言う言葉です。
ダニエルは、危機的な状況に陥ったときも、以前からしていたように、普段の日と変らずに、お祈りをしていたのです。ダニエルは、毎日、毎日、お祈りを捧げる人でした。良い日も,悪い日も、順調な日も、逆境の日も、喜びの日も、悲しみの日も,変らずに、お祈りをしていたのです。
何か、特別な奇跡が必要な日とか、自分の力では、どうしようもない出来事が起きた時だけ祈ったのではありません。
自分の力ではどうしようもないこと、自分の能力の範囲を超えてしまったこと、自分には出来ない事、奇跡が必要な時だけ、祈って助けを求めがちになってしまいますが、自分の力で出来る事も、当たり前のように、毎日している事も、お祈りして、神様の力と助けをいただきましょう。掃除、洗濯などの家事、仕事、趣味、教会の奉仕など祈らなくても、出来てしまう事が沢山あると思います。そうしますと、ついつい祈りをおろそかにしてしまいがちになります。
普段、生活の中で、当たり前にしている事、普段、教会の中で、当たり前にしている奉仕など、
祈りによってはじめ、祈りつつ行い、祈りによって終えていくとき、そこに神様の力が現れて、思わぬ良い結果が生まれたり、大きな失敗から守られて、主の助けの力を体験していく事でしょう。
? ダニエルは感謝の祈りを捧げた
ダニエル6:10・・・彼は以前からしていたように、日に三度ひざまずき、自分の神の前に祈って感謝をささげていた。
新約聖書ではこうあります。
?テサロニケ
5:16 いつも喜んでいなさい。
5:17 絶えず祈りなさい。
5:18 すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
良い事が起こったときだけ、感謝するのは、誰にでも出来る事です。
しかし、クリスチャンは、悪い事が起こったときも、神様に感謝に感謝しますと、感謝の祈りを捧げる事が出来るのです。
なぜ、悪い事が起こっている中で、感謝の祈りを捧げる事ができるのでしょうか?
それは、主は、常に良いお方であること、主が愛の神様である事、正義の神様である事、偏在の神であり、どこにでも共におられる事、全能の神であり、不可能な事が1つもなく、すべてを益に変えてくださる事を知っているからです。神様のご性質を知れば知るほど,神様を知れば知るほど、どんな時も感謝することが出来るようになります。
例え、どんなに激しい雨が降り、暴風が吹き荒れているとしても、その上には、太陽が輝いているように、
神様は、常に良いお方であり、常に最善の事をしてくださっており、素晴らしい将来へと導いてくださっています。
エレミヤ 29:11 わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている─主のことば─。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。
現状がどうであれ、主は私たちを常に良い方向へと導いてくださっています。
ですから、すべてにおいて感謝しましょう。そうすれば、不安や心配が消え去り、心に希望が生まれて、心は平安に包まれます。そして、心の目が開かれ、主がしてくださっている素晴らしい御業を発見していく事でしょう。
全てにおいて感謝する者は、全てにおいて、主の御手とその守りを見出して行く事でしょう。
? ダニエルは哀願の祈りをした
ダニエル6:10 ダニエルは、その文書に署名されたことを知って自分の家に帰った。その屋上の部屋はエルサレムの方角に窓が開いていた。彼は以前からしていたように、日に三度ひざまずき、自分の神の前に祈って感謝をささげていた。
6:11 すると、この者たちが押しかけて来て、ダニエルが神に祈り求め、哀願しているのを見つけた。
エルサレムに向かって祈るのには理由がありました。それは、ソロモン王の取りなしの祈りの中に答えがあります。ダニエルが生まれる300年以ほど前、ソロモンによってエルサレム神殿が完成しました。その献堂式の日のソロモンの祈りは、御言葉となり、捕囚の民の祈りの原動力となったのです。そのソロモンの祈りの一部を共に、朗読しましょう。
?歴代6:36 罪に陥らない人は一人もいません。ですから、彼らがあなたの前に罪ある者となったために、あなたが怒って彼らを敵に渡し、彼らが、遠く、あるいは近くの国に捕虜として捕らわれて行き、
6:37 捕らわれて行った地で我に返り、その捕囚の地であなたに立ち返ってあわれみを乞い、『私たちは罪ある者です。不義をなし、悪を行いました』と言い、
6:38 捕らわれて行った捕囚の地で、心のすべて、たましいのすべてをもってあなたに立ち返り、あなたが彼らの先祖にお与えになった彼らの地、あなたがお選びになったこの都、私が御名のために建てたこの宮の方に向かって祈るなら、
6:39 あなたの御座が据えられた場所である天から、彼らの祈りと願いを聞き、彼らの訴えをかなえて、あなたの前に罪ある者となったあなたの民を赦してください。
ユダヤの民は、偶像礼拝の罪を悔い改めなかった結果、バビロン捕囚となり、国も神殿も、地位も名誉も何もかも失いました。しかし、神様が彼らから奪わなかったものがあります。それは、神の約束の御言葉と、彼らに建てられている素晴らしい希望の計画です。ダニエルもこの神の御言葉の約束を握りしめて、神様の哀れみと救いを真剣に祈った事でしょう。もしかしたら、このような祈りを捧げたのかもしれません。
「主よ、どうか、我らの民の偶像礼拝の罪をお許しください。もう2度と罪を犯す事がないようにしてください。私たちを哀れんでください。どんな事があったとしても、神様を裏切る事のない者とさせてください。あなたの愛と哀れみに、心から感謝いたします。これからは、どんな事があっても、決して偶像礼拝をせずに、あなたに従い続けます。私の友人、シャデラク・メシャク・アベデネゴたちは、燃える炉の中に入れられても、主よあなたが、彼らを無傷で救い出してくださいました。私も、主よ。あなたを信頼します。例え、ライオンの餌にされようとも、あなたの御心を行う者とさせてください。主よ。全てに感謝します。アーメン。」
ダニエルは、人目を恐れず、自分の命も顧みず、神様にお祈りを捧げたために、お腹を空かせたライオンの穴の中に入れられてしまいました。しかし、主は、ダニエルと共におられ、ライオンの口からダニエルを守られたのです。主は、愛と哀れみの神ですから、主にすがるものを決して見捨てる事なく、守ってくださいます。
6:19 王は夜明けに日が輝き出すとすぐ、獅子の穴へ急いで行った。
6:20 その穴に近づくと、王はダニエルに悲痛な声で呼びかけ、こうダニエルに言った。「生ける神のしもべダニエルよ。おまえがいつも仕えている神は、おまえを獅子から救うことができたか。」
6:21 するとダニエルは王に語った。「王よ、永遠に生きられますように。
6:22 私の神が御使いを送り、獅子の口をふさいでくださったので、獅子は私に何の危害も加えませんでした。それは、神の前に私が潔白であることが認められたからです。王よ、あなたに対しても、私は何も悪いことはしていません。」
6:23 王は大いに喜び、ダニエルをその穴から引き上げるように命じた。ダニエルは穴から引き上げられたが、彼に何の傷も認められなかった。彼が神に信頼していたからである。
ダニエルは神様を信頼していました。ですから神様は、ダニエルをライオンの口から守ってくださいました。
主は、主ご自身を信頼し、祈り、助け求める者を決して見捨てません。ですから主を信頼し、主に祈る者とされましょう。主の力を信頼し、祈る時、私たちが期待する以上の、結果を見ていくことになるでしょう。
ダニエルの祈り
今年の新年の祈り会に、中国の方が来られましたので、今の中国の事を聞きましたら、
「去年くらいから、子供は教会には行ってはいけないという法律が出来ました。ですから、今、子供たちは教会にこれなくなっており、親が家で子供たちに聖書の事を教えています。」という事でした。けれども、そのような迫害が続く中にあっても、中国のクリスチャンは増えているとも聞くことが出来ました。
今日は、危機的な状況を祈りのよって乗り越えたダニエルを見て行きましょう。
■ダニエル
サムエル記 列王記・歴代誌 ダニエル書
ダニエルは、南ユダに住むユダヤ人でしたが、バビロンの王ネブカドネツァルに捕らえられ、異教の地、バビロンへと連れ去られてしまいました。けれども、ダニエルには神の霊が宿っており、人格的にも非常に優れていましたので、王に仕える大臣として、その後の歴代の王様にも、お仕えしたのです。
ダニエルは、ダレイオス王にも特別に愛され、120名の大臣の上に立つ、国のトップ3の大臣の長として任命されました。ダニエルはユダヤ人の捕虜でしたから、他の大臣たちは、ダニエルを妬み、処刑する策略を練りました。
6:6 それでこの大臣と太守たちは、王のもとに押しかけて来て、こう言った。「ダレイオス王よ、永遠に生きられますように。
6:7 ・・・今から三十日間、王よ、いかなる神にでも人にでも、あなた以外に祈願をする者は、だれでも獅子の穴に投げ込まれる、と。
6:8 王よ、今、その禁令を制定し、変更されることのないようにその文書に署名し、取り消しのできないメディアとペルシアの法律としてください。」
6:9 そこで、ダレイオス王はその禁令の文書に署名した。
ダレイオス王は、沢山の大臣や太守の機嫌を損ねたら、やっかいな事になりますので、まぁ30日間の期間だけだからと、気軽な気持ちで、あまり深く考えもせず、その法律にサインをしてしまったのかもしれません。それが、とんでもない事を引き起こすとは知らずに。ダニエルは、30日間だけ、部屋の窓を閉めて、心の中でお祈りをして、30日が過ぎたら、また窓を開いて、ひざまずいてお祈りをすればよかったのですが、主の前に、妥協する事なく、主を信頼していつものようにお祈りしたのです。
6:10 ダニエルは、その文書に署名されたことを知って自分の家に帰った。その屋上の部屋はエルサレムの方角に窓が開いていた。彼は以前からしていたように、日に三度ひざまずき、自分の神の前に祈って感謝をささげていた。
このダニエルの姿勢から学べる事がいくつかあります。
? 祈りを最優先した
ダレイオス王はダニエルを愛し、特別に扱われていましたので、ダニエルは真っ先にダレイオス王の所に行き、助けを求める事もできましたが、まずは、神の前に行き、祈ったのです。
ダニエルは祈りこそ、第一に優先すべきことを知っていたのです。
アメリカの歴代大統領で、最も尊敬されているアブラハム・リンカーンの名言ですが、
「もし8時間、木を切る時間を与えられたら、そのうち6時間は私は斧を研ぐのに使うだろう」という言葉があります。6時間も斧をとぐなんて、時間の無駄。なんと効率の悪い事をするのかと思います。けれども、しっかりと研がれた斧を使う事により効果的に、木を切り倒す事が出来るという事です。この言葉は、何事も、自分の力を過信せず、しっかりと準備をすることが大切だという教えですが、祈りにも適応出来ると思います。祈る時間が無駄に思え、祈りをおろそかにして、色々な物事に取り組んでしまう事が多々あるかと思います。ですから、
今まで、あまり祈る事をせずにしていた事があるなら、まずは、お祈りしてから取り組んで見てはどうでしょうか? あまり成果がでなかった事に、成果が出始めたり、思うような方向に進まなかった事が、良い方向に進み出したり、期待以上の事が起こり始めるかもしれません。
? 自分の力で出来る事も、お祈りしてから始めましょう。
ダニエルは、危機的な状況に陥り、慌てて祈りだしたのではありません。「困った時の神頼み」の人ではなかったのです。「困った時の神頼み」とは、困った事が起きたり、追い詰められた時だけ神様や、周りの人に助けを求める事です。そして、問題が解決すれば、神様も周りの人からも、遠ざかっていってしまうという人間の身勝手さを言う言葉です。
ダニエルは、危機的な状況に陥ったときも、以前からしていたように、普段の日と変らずに、お祈りをしていたのです。ダニエルは、毎日、毎日、お祈りを捧げる人でした。良い日も,悪い日も、順調な日も、逆境の日も、喜びの日も、悲しみの日も,変らずに、お祈りをしていたのです。
何か、特別な奇跡が必要な日とか、自分の力では、どうしようもない出来事が起きた時だけ祈ったのではありません。
自分の力ではどうしようもないこと、自分の能力の範囲を超えてしまったこと、自分には出来ない事、奇跡が必要な時だけ、祈って助けを求めがちになってしまいますが、自分の力で出来る事も、当たり前のように、毎日している事も、お祈りして、神様の力と助けをいただきましょう。掃除、洗濯などの家事、仕事、趣味、教会の奉仕など祈らなくても、出来てしまう事が沢山あると思います。そうしますと、ついつい祈りをおろそかにしてしまいがちになります。
普段、生活の中で、当たり前にしている事、普段、教会の中で、当たり前にしている奉仕など、
祈りによってはじめ、祈りつつ行い、祈りによって終えていくとき、そこに神様の力が現れて、思わぬ良い結果が生まれたり、大きな失敗から守られて、主の助けの力を体験していく事でしょう。
? ダニエルは感謝の祈りを捧げた
ダニエル6:10・・・彼は以前からしていたように、日に三度ひざまずき、自分の神の前に祈って感謝をささげていた。
新約聖書ではこうあります。
?テサロニケ
5:16 いつも喜んでいなさい。
5:17 絶えず祈りなさい。
5:18 すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
良い事が起こったときだけ、感謝するのは、誰にでも出来る事です。
しかし、クリスチャンは、悪い事が起こったときも、神様に感謝に感謝しますと、感謝の祈りを捧げる事が出来るのです。
なぜ、悪い事が起こっている中で、感謝の祈りを捧げる事ができるのでしょうか?
それは、主は、常に良いお方であること、主が愛の神様である事、正義の神様である事、偏在の神であり、どこにでも共におられる事、全能の神であり、不可能な事が1つもなく、すべてを益に変えてくださる事を知っているからです。神様のご性質を知れば知るほど,神様を知れば知るほど、どんな時も感謝することが出来るようになります。
例え、どんなに激しい雨が降り、暴風が吹き荒れているとしても、その上には、太陽が輝いているように、
神様は、常に良いお方であり、常に最善の事をしてくださっており、素晴らしい将来へと導いてくださっています。
エレミヤ 29:11 わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている─主のことば─。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。
現状がどうであれ、主は私たちを常に良い方向へと導いてくださっています。
ですから、すべてにおいて感謝しましょう。そうすれば、不安や心配が消え去り、心に希望が生まれて、心は平安に包まれます。そして、心の目が開かれ、主がしてくださっている素晴らしい御業を発見していく事でしょう。
全てにおいて感謝する者は、全てにおいて、主の御手とその守りを見出して行く事でしょう。
? ダニエルは哀願の祈りをした
ダニエル6:10 ダニエルは、その文書に署名されたことを知って自分の家に帰った。その屋上の部屋はエルサレムの方角に窓が開いていた。彼は以前からしていたように、日に三度ひざまずき、自分の神の前に祈って感謝をささげていた。
6:11 すると、この者たちが押しかけて来て、ダニエルが神に祈り求め、哀願しているのを見つけた。
エルサレムに向かって祈るのには理由がありました。それは、ソロモン王の取りなしの祈りの中に答えがあります。ダニエルが生まれる300年以ほど前、ソロモンによってエルサレム神殿が完成しました。その献堂式の日のソロモンの祈りは、御言葉となり、捕囚の民の祈りの原動力となったのです。そのソロモンの祈りの一部を共に、朗読しましょう。
?歴代6:36 罪に陥らない人は一人もいません。ですから、彼らがあなたの前に罪ある者となったために、あなたが怒って彼らを敵に渡し、彼らが、遠く、あるいは近くの国に捕虜として捕らわれて行き、
6:37 捕らわれて行った地で我に返り、その捕囚の地であなたに立ち返ってあわれみを乞い、『私たちは罪ある者です。不義をなし、悪を行いました』と言い、
6:38 捕らわれて行った捕囚の地で、心のすべて、たましいのすべてをもってあなたに立ち返り、あなたが彼らの先祖にお与えになった彼らの地、あなたがお選びになったこの都、私が御名のために建てたこの宮の方に向かって祈るなら、
6:39 あなたの御座が据えられた場所である天から、彼らの祈りと願いを聞き、彼らの訴えをかなえて、あなたの前に罪ある者となったあなたの民を赦してください。
ユダヤの民は、偶像礼拝の罪を悔い改めなかった結果、バビロン捕囚となり、国も神殿も、地位も名誉も何もかも失いました。しかし、神様が彼らから奪わなかったものがあります。それは、神の約束の御言葉と、彼らに建てられている素晴らしい希望の計画です。ダニエルもこの神の御言葉の約束を握りしめて、神様の哀れみと救いを真剣に祈った事でしょう。もしかしたら、このような祈りを捧げたのかもしれません。
「主よ、どうか、我らの民の偶像礼拝の罪をお許しください。もう2度と罪を犯す事がないようにしてください。私たちを哀れんでください。どんな事があったとしても、神様を裏切る事のない者とさせてください。あなたの愛と哀れみに、心から感謝いたします。これからは、どんな事があっても、決して偶像礼拝をせずに、あなたに従い続けます。私の友人、シャデラク・メシャク・アベデネゴたちは、燃える炉の中に入れられても、主よあなたが、彼らを無傷で救い出してくださいました。私も、主よ。あなたを信頼します。例え、ライオンの餌にされようとも、あなたの御心を行う者とさせてください。主よ。全てに感謝します。アーメン。」
ダニエルは、人目を恐れず、自分の命も顧みず、神様にお祈りを捧げたために、お腹を空かせたライオンの穴の中に入れられてしまいました。しかし、主は、ダニエルと共におられ、ライオンの口からダニエルを守られたのです。主は、愛と哀れみの神ですから、主にすがるものを決して見捨てる事なく、守ってくださいます。
6:19 王は夜明けに日が輝き出すとすぐ、獅子の穴へ急いで行った。
6:20 その穴に近づくと、王はダニエルに悲痛な声で呼びかけ、こうダニエルに言った。「生ける神のしもべダニエルよ。おまえがいつも仕えている神は、おまえを獅子から救うことができたか。」
6:21 するとダニエルは王に語った。「王よ、永遠に生きられますように。
6:22 私の神が御使いを送り、獅子の口をふさいでくださったので、獅子は私に何の危害も加えませんでした。それは、神の前に私が潔白であることが認められたからです。王よ、あなたに対しても、私は何も悪いことはしていません。」
6:23 王は大いに喜び、ダニエルをその穴から引き上げるように命じた。ダニエルは穴から引き上げられたが、彼に何の傷も認められなかった。彼が神に信頼していたからである。
ダニエルは神様を信頼していました。ですから神様は、ダニエルをライオンの口から守ってくださいました。
主は、主ご自身を信頼し、祈り、助け求める者を決して見捨てません。ですから主を信頼し、主に祈る者とされましょう。主の力を信頼し、祈る時、私たちが期待する以上の、結果を見ていくことになるでしょう。