A書名
この書が斯く名づけられた理由は人口調査が2回行われたことについて本書中に記録されてあるからである。
1回はシナイの荒野において(1章)。もう1回はモアブの平野において(26章)。
英語ではNumbersと言われているのも、このわけによる。ヘブル語ではブミッドバーと言われ、
「荒野において」という意味であって、この方が適当なる書名のように思われる。
なぜなら本書中すべての事件は荒野において経験せられた者であって実に本書は荒野の書である。
B本書の性格
本書は明らかに荒野における流浪の記であって、また戦いの書であり、奉仕の書、失敗の書である。
C本書の使命
本書には三重の使命がある。
1)そのうち重要なる一つは奉仕である。この書の最初において出会うものである。
主の民は奉仕のために救われた者である。聖書の最初の4巻における使命の順序のいかに意味深長であるかに注意しなさい。
1、創世記・・・・・・罪によって堕落した人間。
2、出エジプト記・・・堕落をした人間のための神の贖い。
3、レビ記・・・・・・供物を通して礼拝する人間。
4、民数記・・・・・・奉仕する人間。
これは神的順序である。ただ救われて礼拝する霊魂のみ奉仕の資格ある者である。
2)第2の使命は奉仕と歩みにおいて秩序の欠ぐべかざることである。秩序は天に属する第一の律法である。
ここに我々は営と幕屋における奉仕とが如何に正しく、組織されてあるかを見、ま
たイスラエル人の日々の歩みが如何に秩序正しくあるべき事を主が望み給うかを知る。
3)第3の使命はイスラエルの悲しむべき失敗が本書に大きく記述されており、
それは不信仰と不平であったことに注意すべきである。彼らは贖われし人々であって、犠牲について、
礼拝について、祭司職について十分に教えられていた者であったにもかかわらず、かかる呟き、失敗を繰り返した。
本書中より8つの呟きを知る時、如何に悲しむべき事であろうか。次の如し。
(1)11:1~3・・・・・神の導き方についての呟き
(2)11:4~35・・・・食物についての呟き
(3)12章・・・・・・・・神の与えた指導者について
(4)14章・15章・・・・約束の地について
(5)14:39~45・・・神のされた判決に対して
(6)16章、17章・・・・神の任命について
(7)20:23・・・・・・渇きに対する呟き
(8)21:4~9・・・・・食物に対して
D本書の重要性
a.新訳中に多く引照されている。
b.聖霊はイスラエルの初代歴史について特別の注意を促している。(第1コリント10:1~12)
第1コリント10:1~12を読んでいただきたい。
c.この御言葉にご注意ください。
1節には「兄弟たちよ、この事を知らずにいてもらいたくない」と神はいわれている。
また1~4節までに「みな」という語が5回記述されている。
5節の「神の御心にかなわなかったので荒野で滅ぼされてしまった」。この御言葉より如何なる教訓を受けるか。
d.さらに神は訓戒されている。同じ刑罰が我らにも及ぶことのないようにと見本を見せて警告されている。
以上37年間のイスラエル人は、ほとんど歴史なく、空白に等しい有り様であった。実に悲しむべき部分である。
(1)内容の大略
a.戦争に出ることのできる20歳以上の者の調査。(その主眼はイスラエル軍の強化であった)・・・1章
b.様々の部族の編制と共に秩序整然たる宿営(2章)
c.レビの部族の調査(3章)1章においてはレビ族は調査しなかった。
d.秩序整然たるレビ族の務め、4章
e.潔い宿営において
X.らい病人は隔離されなければならない
Y.ナジル人の請願6章
Z.つかさ達の自発的献物7章
XXレビ族の清めについて8章
XY過越の祭を守ること9章
XZ2本の銀のラッパ10章
f.すべてはカナンの国境へ進むように準備されている。
行進を開始することも止まって休むことも神の御命令であった。
主が、その道を導かれた。カデシに到着し、カナンはもう間近かった。
しかし悲しい崩壊が来たイスラエルの不信とは逆である。
g.裁きが民たちにくだされ、40年間の放浪に入る。
h.彼らの目にきらめいていた期待はだんだん去って荒野の堅い地の下に死んだ身体を横たえた。
i.神はついにカデシにおいて再び集まる新しい世代をとりあげて新しく調査することを定め、
最後に所有すべき地へと導かれるために最後の準備が始められた。
(2)上記の概略に従って、もう一度第1コリント10:11~12を読みなさい。
そして初期のイスラエル人のなした恐ろしい失敗を憶えよ。使徒パウロがコリント教会にあてた訓戒より
我らの学ぶべき教訓のある事を心に銘記せよ。我らに見本であるようにと3つの事件について告げている。
(1)本書の構造
a.その構造は非常にやさしい。動きのない地理学的なレビ記と異なり、動きのある書であって、分割的書であることを示す。
b.この書がイスラエルの民達の2つの世代に関するものであることを覚えよ。
1.奴隷の状態から解放されてエジプトより出た世代の人々で、これらの人は荒野において滅ぼされた。
言い換えれば、彼等は約束の地カナンへ向かって出発したが、そこに到達することが出来なかった。
1~14章に記されている最初の団体であって、これらの人々のことを「古い世代」と称せられている。
c.次に新しい世代について告げられている。
即ち、約束の地カナンに入ることの出来なかった古い世代以外の者たちである。この新しい世代の働きについて21~36章に記されている。
d.また古い世代の失敗と新しい世代の働きとの間の章がある。15~20章である。
これらの章を「放浪」と称している。故にこの書を3部に分割することが出来る。
(1)1~14章 古い世代
(2)15~20章 放浪時代
(3)21~36章 新しい世代
e.左記の分割について助けとなること
20章にアロンの死について記録されている。どうぞ読んで下さい。
33:38「イスラエルの人々がエジプトの国を出て40年目の5月1日に祭司アロ
ンは主の命によりホル山に登って、そのところで死んだ」。
(2)本書の一般のメッセージ
「神の慈愛と峻厳とを見よ」(ローマ書11:22)
a.この書において神の峻厳を見る。
荒野で堕落した古い世代の人々は決して約束の地に入ることが出来なかった。
b.同時に新しい世代が約束の地、カナンを所有とするまで守り導き、必要を供給して
給うたかを見るとき、神の限りなき慈愛を見る。
★イスラエルの部族の宿営の配置
アセル ナフタリ ベニヤミン メラリ イッサカル エフライム ゲルション 幕屋 モーセ/アロン/祭司 ユダ マナセ コハテ ゼブルン ガド ルベン シメオン
注
a.約200万の人々が上記の如くに配置された。
b.上記の正方形は一辺が約12マイルである。
c.レビ族の外に、なお12の部族があった。
レビ族は別に記されている(1:49~50、3:12~13を見よ)
d.ヨセフの2人の息子、エフライムとマナセはここで2つの部族として認められてい
る。
(ヨセフの一族として記される代わりに)
1~8章
このところに於いては異なる立場にある奉仕につき記されている。神はいかなる立
場にある者に対しても「秩序ある奉仕」を要求されていることを強調されていること
を悟ることができる。輪郭的聖書の中にもこの点が強調されている。列挙されてい
る。
A
1戦争における主の奉仕・・・1章
「戦争に出ることのできる」という御言葉が14回記されている。
2秩序だった宿営における主の奉仕・・・2章
幕屋の周囲にその舞台の旗の下に、その父祖の家の旗印に仕上がって宿営する(前
ページの図を見よ)。
3
幕屋における主の奉仕・・・3~4章
幕屋における働きは各々に分けられ、その任務に対して責任を持つ。
4
汚れなき幕屋における主の奉仕・・・5章
5
ナジル人なるもの主の奉仕・・・6章
6
懇請しない献物・・・7章
7
アロンとレビに属するもの。主の奉仕・・・8章
真に新生した信者は毎日の信者生活において
1、礼拝
2、戦い
3、主に対する奉仕の3つの事を表すべきであって、これらの3つの事がなければ真に新生したことを証明できない。
B
家計の宣言(1,18および2~2それぞれの立場において)
これらの両記事は一般の読者には余り重要と考えられないであろう。但し聖書の記事はすべて神の霊感を受けて記され、
すべて有益であることを覚えなければならな
い。
ローマ書10章10節には人は信じて義とせられ、口に言い表して救われるからである」と記されている如く、
人の家計を宣言すること、各自の立場によって生活することを宣言することである。
いわゆる信者と称せられている多くの者が友人や近隣その他に対して決して証しをしない。
彼らの信じることは完全である。但し「あなたがたは私の証人となるであろう」との御言葉を実行している
我々ペンテコステの信者は神を賛美しようではないか。
3章レビ族の調査
3章にはレビ族の数えることが記されている。1章における他の部族を数えることよりレビ族は除かれていた。
なぜなら幕屋に属する特別の奉仕のためにレビ族を選ばれたからである。
なぜなら幕屋に属する特別の奉仕のためにレビ族を選ばれたからである。
「あなたはレビの部族だけは数えてはならない。また、その総数をイスラエルの人々のうちに数え上げてはならない。
あなたはレビ人に証しの幕屋とその諸々の器とそれに付属する諸々の物を管理させなさい。
彼らは幕屋とその諸々の器とも持ち運び、またそこで務めをし、幕屋の周りに宿営しなければならない。
幕屋が進む時はレビ人がこれを取り崩し、幕屋を張る時はレビ人がこれを組み立てなければならない。(1:49~51)
一般の調査は20歳以上の戦いに出ることのできる男子であったがレビ人は一ヵ月
以上の男子を数えた(3:15)
これに対する説明は一切の部族の初めに生まれた全ての初子の代わりにレビ人を取り、
ご自身の物とされることが記されている。
「私はイスラエルの人々のうちの初めに生まれたすべての初子の代わりにレビ人をイスラエルの人々のうちから取るであろう。
レビ人は私のものとなるであろう。初子はすべて私のものだからである。
私はエジプトの国においてすべての初子を撃ち殺した日に、イスラエルの初子を人も獣ことごとく生別して私に帰せしめた。
彼らは私のものとなるであろう。私は主である」。(3:12~13)
レビ族は3部族よりなっていた。即ち、ブルション、コハテ、メラリであって、これらが幕屋の周囲を取り囲んでいた。
西・南・北にそれぞれ配置され、東には聖所の責任を持つモーセとアロン、およびその息子達が置かれ、
他のものが近づくならば殺された。
レビ人
ゲルション7500人西部外部のこと(天幕等)
コハテ8600人南部内部のこと(契約の箱、机、燭台)
メラリ6200人北部幕屋の枠、横木、柱など建造物に関すること
注1
祭司達は幕屋における祭礼、供物および霊的務めをしなければならなかった。レビ人は幕屋の物質方面の事を司った。
即ち建造物、輸送、保管、その保管に必要な奉仕、牛を追ったり供え物のための動物の番をしたり、香をたく準備をしたりする。
注2
1~4章までに兵隊、祭司、レビ人、戦士、交わり、奉仕などにつき記される。
第5課
1章1~46節
題目・・・戦争に出ることのできる20歳以上の者を数えること。
(1)この章のうちに、この句は14回(7の2倍)繰り返されている。即ち左の如し。
3節、20節、22節、24節、26節、28節、30節、32節、34節、36節、38節、40節、42節、45節。
注意を引くためにあなたの聖書のこの節のところに赤線を引きなさい。
(2)本書は出エジプト記に記録されてある如く、エジプトより解放されてから後のイスラエルの民たちの記録と
歴史が記されていることを覚えよ。
(3)レビ記にはいけにえの供物、祭司職、礼拝の規則について記され、旅行についての記録はない。
(4)しかし民数記は逆に移動と旅行の書である。最初の章に荒野への旅への準備が見出される。
即ち来るべき戦争のための動員と組織が与えられている。
(5)新約に記されている「戦い」に対する様々の引照に注意せよ。
a、エペソ書6章11~18節
信者のとるべき7つの武具につき十分研究せよ。真理の帯、正義の胸当て、平和の福音の備えの靴、
信仰の盾、救いのかぶと、御霊のつるぎ、7種類の祈り。
b、また第1テモテの1章18節、6章12節
第2テモテの4章7節
第2コリント7章5節、10章4節を注意せよ。
c、また「戦いに出ることのできる」という条件にも注意せよ。訓練と全き準備について語られている。
今日クリスチャンが霊的戦いの原理について知る人の、なんと少ないことだろう。
d、我らの戦いの武器は肉のものではない。(第2コリント10章4節)
e、武器の知識。これは非常に重要である。我らの武器は何か、これは一つの題目である。
学生たる者は聖書の見地より自分で考えるべきである。
f、これらの武器を如何に用いるか?
これは又もう一つの研究である。兵隊が武器の使用法を十分に訓練されていないならば、
その戦いは負けてる。武器は必要である。我々の武器が何であるか知るばかりでなく、その使い方を知ることが大切である。
1章の初めの方においてもう一つの重要なる点は18節に記されていることである。
「2月1日に会衆をことごとく集めたので、彼らはその氏族により、その父祖の家により、
その名にしたがって20歳以上の者が一人びとり登録した」。これは非常に重要なる点であって明確なる霊的写しである。
現代の「信者です」と告白している多くの者のうち、さて幾人の方が明確に新生していることの確信を持っているだろうか。
彼らは「わたしは新生してると思います」と言うかもしれない。しかしはっきりしたものがない。
明確な悟りがない。イエスは「あなたがたは新しく生まれなければならない」と言われた。
ローマ書10:10を読みなさい。「人は心に信じて義とされ、口で告白して救われる」
さて民数記の18節を見よう。民たちは皆あるところで生まれ、ある家系の一員であると信ずることは十分でなかった人々は、
彼らの家系を宣言しなければならなかった。そして彼らはそれをなしたのである。
諸君よ、キリストの教義に賛成することは良いことであるが十分ではない。
真の信者は「自分の口で」「わたしは新しく生まれました」と自発的に宣言するように聖書は教えているのである。
★第6課 組織された奉仕
(1)様々な団体に属する多くの教会の活動を見て2章に神がイスラエルの民達のために整えられた組織と比較するとき、
その相違に驚かされる。
実に何百万人という人が奉仕のために選ばれた人々は、どの奉仕に於いても責任を持つことに於いて
彼等自身の導きや願望に従うことはなかった。一切は全能なる神によって計画され、整えられた。
今日の活ける神の教会においてこれが事実となっていない。どの信者でも神の教会において立つべき立場があり、
教会の働きにおいて明確な働きが割り当てられている。
然るに多くの信者は、神が立つべき立場を定められていることを考えず、神の御意を悟っても、
その御意に従って全く献げることを拒み、その結果、教会は弱くなる。初代教会の如き強い教会となることが出来ない。
(2)2章2節に含まれている一般の原理を見出しなさい。
「イスラエルの人々は、各々その旗の下に、その父母の家の旗印に従って宿営しなければならない」。
(3)注「その父祖の家の旗印に従って」
山本家に生まれた者は住友家と共に宿営を張ることは赦されない。
「その部隊の旗の下に」・・・これは定められた原理であって、これより離れることは出来ない。
(4)彼等が立てた方向の所に赤線を引きなさい。
a.東部
ユダの宿営の旗につく者(3~4節)74600人
イッサカル(ユダの北側)(5~6節)54400人
ゼブルン(ユダの南側)(7~8節) 57400人
合計 186400人
注:これらは真っ先に進まなければならない(9節)
b.南部
ルベンの宿営の旗につく者(10~11節)46・500人
シメオン(ルベンの東に)(12~13節)59・300人
ガド(ルベンの西に)(14~15節)45・650人
合計 151・450人
注:これらのものは2番目に進まなければならない。(16節)
c.西部
エフライムの宿営の旗につく者(18~19節) 40・500人
マナセ(エフライムの南に)(20~21節) 41・500人
ベニヤミン(エフライムの北に)(22~23節)35・400人
合計 108・100人
d.北部
ダンの宿営の旗につく者(25~26節) 62・700人
アセル(ダンの西側)(27~28節) 41・500人
ナフタリ(ダンの東側)(29~30節) 53・400人
合計 157・600人
注:これらのものはその旗のもとに従って最後に進まなければならない(31節)
特別の注:17節
「その次に会見の幕屋をレビ人の宿営と共に、もろもろの宿営の中央にして進まなけ
ればならない。彼等は宿営するのと同じように各々その位置で、その旗に従って進ま
なければならない」。
e.総計
603・550人(32節)
f.「しかしレビ人はイスラエルの人々のうちに数えられなかった。主がモーセに命じ
られたとおりである」。(32節)
g.「イスラエルの人々は、全て主がモーセに命じられたとおりに行い、その旗に従っ
て宿営し、各々その氏族に従い、その父祖の家に従った」。(34節)