知れ、主は、ご自分の聖徒を特別に扱われるのだ。(詩篇4章3節)
一、最後の災いの予告(出エジプト11章)
神の召しを受けたモーセは、エジプトに戻り、イスラエル人をエジプトから連れ出すため、必死にパロとの交渉を続けました。しかし頑固な。パロはイスラエル人の出国を拒み続けました。その結果、エジプトは九回にわたる『災い』を経験することになるのです。
つまり、ナイル川が血に代わって飲み水の苦しむことから始まり、カエルの難、ぶよの難、疫病の難、腫物の難、雹と雷の難、いなごの難、暗闇の難と続きます (7ー10節)。
それでもなお従おうとしないパロに、ついに神は決定的な『災い』をもたらすのです。それは、エジプトのすべての初子、最初に生まれた子供が死ぬというものでした。神は、みことばに従おうとしない頑固な者をいつまでも忍耐しておられるというわけではありません。
二、過ぎ越しのいけにえ(子羊)(12章 1−28節)
神は、このエジプトを出国する月を現在の3月ないし4月の当たるアビブを「年の最初の月」とするように命じました。それは、この出来事が神の民にとって全く新しい生涯の
始まりを意味していたからです。この月の十日に傷のない一歳の雄の子羊か山羊を用意し、
十四日の夕暮れに殺します。血は、ヒソプの束で、その家の門柱とかもいに塗りました。
その肉は火で焼き、種を入れないパンと苦菜を添えて食べるように命じられました。
その日の真夜中、神はエジプト中のすべての初子を、パロの初子から捕虜の初子に至るまで、また家畜の初子をも打たれたということです。けれども、子羊の血が塗られた家々の初子には被害は及びませんでした。神はその子羊の血の故に、それらの家々を『過ぎ越し』ていかれたのです。これは、十字架で血を流されたイエス・キリストの救いのみ業を指し示していました。?コリント5章7節に『私たちの過ぎ越しの子羊キリストが、すでにほふられたからです』と書かれてあるからです。
三、エジプトを出るイスラエル(12章29−42節)
ついにパロは、モーセとアロンを呼び寄せて、出国の許可を出しました。イスラエルの民は、幼子を除く徒歩の壮年男子
およそ60万人で旅立ったということです。これに加えて、女性や子供たち、さらに外国人や羊や牛などの家畜も一緒に脱出しました。それはエジプトに寄留して430年経過した時のことでした。
神のご計画は、なんと壮大なことでしょう。エジプトでの奴隷としての苦しみを神はご覧になりました。また、430年前に(創世記50章24節)、あるいはそれ以前に(創15章13
ー16節) イスラエルをやがてカナンの地にもう一度 連れ帰るという約束を下さいました。その約束が、この多くの年月を経て果たされようとしていたのです。長い歴史の中に働く神の力を、イスラエル人たちはじぶんたちの最大のできごととして確認しました。それだけではなく、この歴史は、人が罪の奴隷から救われる救いのできごとをも示していたのです。