彼は望えないときに望を抱いて信じました。 (ローマ4章18a節)
アブラハムは信仰の人でした。信仰によって故郷を離れて約束の地カナンに赴き、信仰によって神の約束を信じました。その約束を信じる信仰を、パウロは次のように説明します。ロマ4章19−21節を読みましょう。
一、神が祝福された(創世記17章1−5、15−21節)
神は祝福して言われた『彼女によって、あなたにひとりの男の子を与えよう』(16節)。
この節で『祝福』するということばが2回使われ、ひとりの男の子が与えられて、サラは国々の母となり、多くの王たちが現れることが約束されています。
その時、アブラハムは百才で (17節)、サラは不妊の女であったので、ハガルの産んだイシュマエルが生き永らえるようにと言いました。しかし神は『あなたの妻サラが、あなたに男の子を産むのだ』と言われました。神はアブラハムとサラを祝福し、あくまで、サラによって約束の子を与えると言われます。その約束の子によって多くの国民を祝福し、約束のメシヤを与えようと言われるのです(ガラテヤ3章16節)。
二、神が約束された(創世18章1−15節)
アブラハムは3人の旅人を見て『ご主人。お気に召すなら、どうか、あなたのしもべのところを素通りなさらないでください』(3節)と心から迎え入れ歓待しました。彼に人柄と信仰がよく表れています。『ご主人』はアドーナーイでありであり、直訳すると『私の主』ですが、ここでは『お客様』と読むのが良いでしょう。
彼は、旅人と思って迎え入れたが、実は神の御使いであり (19章1節)、知らないで神の御使いを歓待したのです (ヘブル13章2節)。御使いは、約束して言った。『私は来年の今ごろ、必ずあなたのところに戻って来ます。そのとき、あなたの妻サラには、男の子ができいる』(10節)。サラは心の中で笑い、ここで「笑った」ということが話題になるが、それに対して主なる神は『主に不可能なことがあろうか』(14節) と戒められた。
そこで、彼らは、その約束を信じる者となりました。
三、神が約束を実現された(21章1ー7節)
神は約束されたとおり、サラに一人の男の子を与えられました。ローマ4章20−22節
では、アブラハムの信仰が強調されているが、ここでは、神が約束を実行されたことに重点が置かれています。神の約束されたことは必ず実現されます。信仰は、条件ではなく祝福です。アブラハムは、生まれた子にイサクという名をつけました。それは『彼は笑う』という意味で、不信仰の笑いが喜びの笑いとなったのです。サラは、笑うと言うことにあくまでこだわって『神は私を笑われました。聞く者はみな、私に向かって笑うでしょう』といっています。(感謝の笑い)
*神はアブラムに「アブラハム」「多くの国民の父」 サライには「サラ」「女王」という 新しい名を与えた。 「イサク」彼は笑うの意