神の愛

主題   愛の神                     
      神は、罪人の帰りを待ち、赦して受け入れて下さる。

聖句=私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は
    神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。    ( ? ヨハネ4・16、)

聖書箇所=ルカ15・11−32、ヨハネ3・16、17、?ヨハネ4・7ー21節
*来週はクリスマスです。そして家族や友人を誘うのによい機会です。

一、愛される資格がない者への愛(ルカ15章11−32、) 

 有名な放蕩息子のたとえ話には、二人の息子が登場します。
弟息子は、父親から財産の分け前を前借りし、家を出て、好き放題に使い果たしました。そしてどん底まで落ちぶれた時、やっと我に返りました。17ー19を読みましょう。一方父は帰りをひたすら待っていました。とぼとぼ歩いてくる息子を遠くから見つけ、走り寄って抱き締めました。息子を責めるでも罰するでもなく、ただその帰りを心から心から喜んで、宴会まで開いたのです。20ー24節を読みましょう。
 しかし、もう一人の兄息子は、父の喜びが理解できませんでした。逆に『一生懸命に仕えてきた自分には一度も報酬をくれたことがないのに、遊び歩いていた弟のためにはこんなにもよくしてやるなんて』と、父に腹を立てました。31,32節)。兄息子にとって父と一緒にいたのに、自分も父に愛されていることがわからず、特に喜びを感じませんでした。実は、この兄息子も、心は父から離れていたのです。
 この『父は』は神を指しています。私たちも弟息子のように『自由に好き勝手にやりたい』と神から離れようとする罪があります。しかし神は、そんな私たちを愛し、帰りを待っていてくださいます。弟息子は、自分が神と父に対して罪を犯していたことに気がつき、心から悔い改めて家に帰る決心をしました。家に向かってくる息子を見た時、父はどんなにうれしかったことでしょう。これと同じように、神は、自分の罪を認め悔い改める者を心から喜び、受け入れて下さいます。神に赦され、愛されていると知って生きることのほうが、ずっと自由で喜びに満ちているのです。皆さんは、神に愛されて生きる喜びを感じますか。

二、ひとり子を与えるほどの愛(ヨハネ3・16、17、)

 聖書の中で最も有名で、最も好まれているのがこの聖句でしょう。今度は『世』の代わりに自分の名前を入れて読んでみて下さい。神は、御自分のひとり子イエスの命を、私たちのために与えて下さいました。神の御子が自分の罪のために十字架にかかって死に、よみがえってくださったことを信じるとき、私たちは永遠のいのちを頂くのです。そのいのちとは、神と共に永遠に生きることができる、希望に満ちたものです。
なんと素晴らしい約束ではないでしょうか。

三、愛し合うことの勧め(?ヨハネ4・7−21、)

『神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。ここに、
神の愛が示されたのです』『神は愛です』と言って、神の本質が愛であることを教えたヨハネは、神の愛が私たちのうちに全うされるために、私たちも互いに愛し合うべきであると勧めます。それによって、神の愛を人々に示すことができるからです。
 来週はクリスマスです。主イエスのお誕生を祝うこの時、神の愛をしっかり心に留めましょう。
 (祈りましょう)

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