神と格闘する

『主は心の砕かれた者の近くにおられ、霊の打ち砕かれた者を救われる」(詩篇34篇18節)

一,帰郷の旅(創世記 31章3,17―21節、32章1ー21節)
 ヤコブとその家族は、神の語りかけにより、いよいよ故郷に帰ることになりました。
ラバンのもとから逃げるように出てきた彼らがいろいろな試練にあいながら旅を続けていると、神の使いたちがヤコブに現れました。これはヤコブをどれほど励ましたことでしょう。
 さてヤコブは、いよいよ兄エソウと会うことになります。エソウはまだ怒っているでしょうか。ヤコブは、エソウのもとに前もって使者を送っていました。その使者は帰ってきて、エソウが四百人を引き連れてやってくる、という報告をしました。32章7、8節を読みましょう。
 ヤコブは神に祈りました。創世記 32章9−12節を読みましょう。ヤコブが恐れている様子が正直に表現されています。まずヤコブは、主が如何なる方かを述べ、それから自分がいかに弱く足りない者であるかを述べています。そして最後に、エソウの手から救い出してほしいと、自分の願いを述べています。彼がこのように主により頼むことができたののも、これまでの経験があったからでしょう。今やヤコブは、ただ神のみに頼るしかないのです。ヤコブはエソウの怒りをなだめるためにたくさんの家畜を贈ることにしました。主に信頼しながら、自分の知恵や持ち物に頼る気持ちを捨てきれなかったのでしょう。

二、神との格闘(創世記 32章22―32節)
 それでもまだ不安が消えません。途中に起き上がり、家族にヤボク川を渡らせました。自分はひとり、あとに残って祈りました。32章24―28節を読みましょう。『ある人』とは恐らく神の使いだと言われています。神の使いはヤコブのももの関節を打ちました。ヤコブは神の使いに『私を祝福してくださらなければ、あなたを去らせません』と言いました。神の使いは、ヤコブに『イスラエル」という新しい名前を与えました。『神と争う』又は 神の王子という意味です。
 ヤコブはこの戦いを通して、へりくだって神の祝福を求めることの大切さを学びました。恐れな支配され、信頼し切るとことのできなかった自分を知り、神の祝福なくしては、何もできない自分を学びました。ヤコブはこの場所を『ベヌエル』と呼びました。これは『神の顔』を意味します。

三、神の守りと導き (創世記 33章、35章 1ー15節)
 いよいよエソウとの再会です。最早ヤコブに恐れはありません。ヤコブは家族の先頭に立ち、何度も地に伏してお辞儀をしつつエソウに近づきました。そんなヤコブにエソウは走り寄り、感動の再会を果たします。もうかつての憎しみはありませんでした。ヤコブ同様、エソウも神からの取り扱いを受けたのでしょう。
 この後、エソウとヤコブは別れて住むことになりましたが、神はヤコブにベテルに移るようにお命じになりました。ペテルは前に学んだように、神がヤコブに現れて『この地に連れ戻して祝福する』と約束してくださった場所です。そして、神はそこで再びヤコブに現れ、祝福を与えてくださったのです。(創世記 35章9―12節)を読みましょう。

        
* 10月28日  神と格闘する  創世記 31章3、17章21、32―33章 35章1ー15節

主題=神はかたくなな心を砕き、祝福して下さる。

   創世記 28章15節=参照                    

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