主題 死人を生き返らせる (ラザロの復活)
イエスは死をも征服される。
聖句=わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信ずる者は、死んでも死んでも生きるのです。
(ヨハネ11章25b) 聖書箇所=ヨハネ11章1ー45節
*『わたしは……である』という宣言句の中でも、最も有名なことば。特に三つのことが、宣言されています。
第一は『わたしはよみがえりです』でイエスは死人を現実によみがえらせることの出来るお方あることが宣言されています。それは、ナインのやもめの息子、そしてこのラザロにおいて実現しています。
第二は『わたしは、いのちです』で、イエスこそいのちの源であり、いのちを与えることのできる方であることが宣言されているのです。これは霊的、肉体的いのちの両方が含まれている。
第三は『わたしを信じる者は、死んでも死にきる』で、ラザロのように死んでもよみがえらせることを意味しています。 イエスは神の子であって、人間を生き返らせ、本当のいのちを与えることのできる方です。
*よみがえりは奇跡の中の奇跡と言われ、福音書ではラザロのほかにナインのやもめの息子の例〈ルカ7章11−17)
があります。キリストの復活はそのクライマックスです。ここでは、よみがえりの事実ともにその意味を論じています。
一、ラザロの病気(ヨハネ11・1−16節)
エルサレムから東に3キロほど離れたベタニヤ村に、マルタ、マリヤ、ラザロの三兄弟が住んでいました。イエスは、この兄弟ととても親しくしておられたようです。迫害を避けてヨルダン川の東岸に滞在中のイエスのもとに『ラザロが病気なので、すぐ来ていただきたい』という知らせが伝えられました。
マルタとマリヤは、ラザロの病気を治すためにイエスがすぐに駆けつけてくださることを期待していたことでしょう。しかし、イエスは、すぐに出発されませんでした。4節を読みましょう。イエスは、『ラザロの病気死ぬようなものではない』と言われたのです。
二日後に、イエスがラザロの家に行こうとされた時、イエスの身を案じる弟子たちは反対しました(8節)。しかしイエスは、御自分の計画どおりに行動されます。イエスは、どんな場合でも、父なる神から与えられた目的を達成するために行動されたのです。
二、『あなたの兄弟はよみがえる』(17−37節)
ラザロが死んで四日もたってから、イエスはベタニヤ村に、着かれました。期待を裏切られたマルタが『主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄は死ななかったでしょうに』と言ったのに対して、イエスは言われました。『あなたの兄弟はよみがえります』マルタは答えて言った。『私は、終わりの日のよみがえりの時に、彼がよみがえることを知っています』マルタは、よみがえりの信仰を抱いていましたが、ラザロが現実によみがえることは信じられなかったのです。
マルタの信仰をより明確にするためイエスが言われたことを読みましょう。
『わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでもいきるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。(25、26節)マルタは『主よ。私は、あなたが世に来られる神の子キリストである、と信じております。と素直に信仰告白をしています。
三、『ラザロよ。出てきなさい。』(38−45節)
当時は、人が死ぬと一週間、特に女の人たちが墓の前で嘆き悲しむ習慣がありました。イエスは、それをご覧になって心を揺さぶられ、涙を流されました。居合わせた人々の二通りの反応を見ましょう。(36、37節)
イエスは『墓の入り口をふさいでいる石を取りのけなさい』と言われました。それから、父なる神に祈られました。福音書の記者たちは、たびたび、イエスが祈られたことを記録しています。イエスが大声で『ラザロよ。出て来なさい』と叫ばれると、死んでから四日もたち、とうに腐っていたはずのラザロが布で巻かれたまま出て来ました。
イエスが人々の前でこの奇跡を行われた目的が、42節にあります。ラザロの病気が伝えられた時、イエスがすぐに駆けつけられなかったわけが分かったでしょう。ラザロの復活は、イエスを信じる者が永遠のいのちを得ることの
『しるし』でした。(3章16節)また、やがて十字架にかけられて死なれたイエスが死を征服してよみがえることの予告でもありました。
(祈りましょう)