『父よ。彼らをお許し下さい。彼らは、何をしているのか自分でわからないの
です。』 (ルカ23章34節)
一、十字架への道(ルカ23章26―31節)
イエスの十字架刑が確定しました。逮捕以来、徹夜で不当な尋問と裁判を受け、疲れきっておられたイエスは、重い十字架を背負って刑場への道を上っていくことがおできになりませんでした。そこで、ローマの兵士たちはクレネ人シモンに十字架を背負わせました。よろよろと歩かれるイエスのあとに、大勢の人がついていきます。その中に、イエスのことを嘆き悲しむ女性たちがいました。イエスはその女性たちに、やがてこのエルサレムを襲う災に備えて、自分たちのことを心配するように語られました。イエスのことばのとおり、紀元70年にエルサレムはローマ軍によって破壊され、多くの人が命を落とすという悲惨な出来事が起こるのです。
二、十字架の上で(ルカ23章32ー43節)
『どくろ』(ゴルゴダ)という場所で、兵士たちはイエスと二人の強盗を十字架につけました。朝9時でした。イエスは、無実の自分を十字架につけた人々に対して怒っておられたでしょうか。いいえ、かえって、彼らのために祈られました。『父よ、彼らをお許しください彼らは何をしているのか自分でわからないのです。』
兵士たちはイエスの服をくじ引きにし、人々はイエスをあざけっていました。イエスの両わきで十字架についけられた二人の強盗も、イエスを罵りました(マタイ27章44節)。
しかし、やがてそのうちの一人は、十字架上のイエスのお姿を誰よりも近くで目撃して、イエスの祈りに心を打たれ、罪を悔い改めて、イエスを神であり、救い主だと信じて、言いました。42節を読みましょう。するとイエスはこの人の願いをはるかに越えた、確かな約束を与えられました。その言葉が43節にあります。どんな極悪人でも、悔い改めて、イエスを救い主と信じるなら、天国に入れていただけるのです。
三、人々の反応(ルカ23章44―56節)
イエスは午後3時に『父よ。我が霊を御手にゆだねます』と言いって、息を引き取られました。太陽は光を失っていました。神殿の奥にあって、祭司が年に一度しか中に入れないように隔てていた幕が、上から下までまっ二つに裂けました。処刑の現場責任者だったローマ軍の百人隊長は神をほめたたえて言いました。『ほんとうに、この人は正しい方であった』ルカ23章47節を読みましょう (マタイ27章51―56節 参照)群衆は悲しみながら帰りました。この中には、数日前にエルサレムに来られたイエスを大歓迎し、数時間前には『十字架につけろ』と叫んだ人もいるはずです。
イエスを死刑に定めた最高議会の議員で、イエスの隠れた弟子だったアリマタヤのヨセフは思い切っていえすの遺体を引き取り、墓に埋葬しました。ずっとイエスと共に歩んだ女性たちは、そのようすを見届けました。
* 4月1日(受難週) 十字架上のイエス(ルカ23章26―56節、マタイ27章33-56節)
主題=主イエスは十字架の上で祈られた。
『神殿の幕』(ルカ23章46節)は聖所と至聖所を仕切る幕。これが裂けることの意味
ヘブル9章1−14、10章19―22節 参照