十字架の上の祈り

『父よ、彼らををお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。』(ルカ23章34節)

一、『父よ。彼らをお赦しください』(ルカ23章33、34節)イエスは二人の強盗と共にゴルゴタと呼ばれる所で十字架につけられました。そこはエルサレムに近い刑場であったと思われますが名称の由来も場所も不明です。十字架刑はいろいろなやり方で執行されたが、イエスの場合十字架を刑場まで運ばされたので、横たえられた十字架に釘で打ち付けられ、それを真っ直ぐに立てられたものと思われます。その言語に絶する苦痛の中で、イエスはご自分を十字架につける者たちのために祈られたのです。
 四福音書には、イエスが十字架上で語られた七つの言葉が記されています。その中で最初に言われたのが、この祈りのことばです。この祈りは、直接的にはイエスを十字架につけたローマ兵士たちのための取り成しです。しかし、イエスを十字架につけたのは私であるという自覚を持つ者はだれでも、このイエスの祈りを私のための取り成しと聞くことが出来ます。『彼らは(いや私は)、何をしているのか自分でわからないのです』という理由で、イエスは彼ら(いや私の) 罪を無条件で赦してくださる。そのために罪のない方であるイエスが十字架につけられ『父よ。彼らをお赦しください』と祈りつつ、彼らの(そして私の) 身代わりとなって死んでくださったのです。

二、あざ笑う者たち(35−39節)十字架を見ていた民衆もユダヤ人の指導者たちも、イエスの祈りのことばを聞いて『他人を救いながら自分を救えないのか.もしキリストなら、自分を救ってみろ』とあざ笑いました(35節)。彼らにはイエスの祈りは、イエスの弱さか、負け惜しみにしか聞こえませんでした。それが多くの人々の姿であることは、今も昔も変わりません。イエスと一緒に十字架につけられた犯罪人の一人も、同じように悪態をつきました。

三、私を思い出してください(40ー43節)しかし、驚くべきことに、十字架につけられたもう一人の犯罪人は、仲間をたしなめるように言いました。『おまえは神を恐れないのか。われわれは、自分のしたことの報いをうけているのだからあたりまえだ。だがこの方は悪いことは何もしなかったのだ』(40、41節と。この人はイエスの祈りを素直に聞きました。そのように彼の心の耳が開かれたのは、聖霊の導きと助けによるのです。そして彼も十字架上で祈りました。『イエスさま。………私を思い出してください』と(42節)イエスの答え『あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます』と即座に彼を(また私たちを)受け入れてくださいます。

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