ヨナタン

ダビデはその行く所、どこででも勝利を収めた、主が彼とともにおられた。(?サムエル18章14節)

 サウル王の息子ヨナタンは軍事能力に優れた王子で、ペリシテとの戦いにおいてサウルから千人の兵を託されていた。「主がわれわれに味方してくださるであろう。大人数によるのであっても、少人数によるのであっても、主がお救いになるのに妨げになるのに妨げになるものは何もない』(14章6節)と言い切る勇士であり、信仰者だった。神はその信頼に応えてイスラエル軍を励まし、勝利をお与えになった。ヨナタンは父王の軽率な采配から戦士たちを守ったので、彼が危機に瀕した時、イスラエルの民はその命を助けた(14章24ー30、45節)。サウルの跡を継いで王となるべき立場にあり、力量も備えているのにもかかわらず、神の心がサウルから離れた今、ヨナタンにはその機会が閉ざされていた。

一、ヨナタンと終生の友情を誓う(1サムエル18章1ー4節)
 ダビデがゴリヤテを倒すと、サウルは改めて彼の素性を調べ(17章58節)兵士として召抱えた。
 王子のヨナタンはダビデの人柄に魅了された。ダビデのうちに宿る信仰による勇気をつぶさに見て取ったヨナタンは、『自分と同じ程にダビデを愛し』終生の友情を誓ったのである。上等な上着のみならず貴重な武器 (13章22節) まで惜しげも無くダビデに与えた。武具を与えるのは、命を預けることに等しい。ヨナタンはすでに、自分が継ぐべき王位がダビデのものとなることを気づいていたのかも知れない(23章17節)。

二、サウルの妬み(18章5−19章24節)
 5節と6節との記述は時間的な矛盾があるように見えるが、5節を、ある一定の期間に起こった出来事を総括的に記録したものと考えれば問題ない。
 ペリシテとの戦いから凱旋したサウル王の軍隊を、女たちが楽器を携えて喜び迎えた。
しかし『サウルは千を打ち、ダビデは万を打った』と歌い、笑いながらはやし立てるのを聞いた時、サウルは、自分がイスラエルの王位から退けられたことを告げるサムエルのことばを思い出したに違いない(15章26、27節)。サウルはダビデの人気を妬み、猜疑心のとりこになる。
 どの戦いにおいても勝利を収めるダビデの人気はつのる一方で、サウルは彼を戦士の長に取り立てた。ある日、災いをもたらす神の霊に悩まされたサウルは、いつもの様にダビデを呼んだが、琴の演奏に耳を傾ける間も、彼の手には槍が握られていた。実際に槍を投げたが、射留めることは出来なかった。神が自分から離れ、今やダビデと共におられることを見せつけられたサウルは、ダビデを恐れ、彼を千人隊の長に任じた。前線に送って戦死させようと企てたのである。しかし、(18章14節)。ペリシテ人の手によってダビデを亡き者にしょうという企てが全て失敗すると(18章17−30節)、サウルはダビデ殺害の意志をヨナタンにも家来にも公言するようになった。ヨナタンは父王を諌めたが、一時的には納得したものの、サウルの殺意は衰えることがなかった。ついにダビデは、一部始終をサムエルに報告し、ナヨテに行ってサムエルと共に住む
エルサレムの北方にあるナヨテには預言者郡の共同宿舎があり、この時代の預言者郡運動を起こしたサムエルが指導していた。ナヨテ=アラム語で教えの家を意味し『今日で言う神学校の意

三、ヨナタンとの別れ(20章)
 ナヨテまで追い迫るサウルの執念に、さしものダビデも弱気になったと見える『わたし年との間には、ただ一歩の隔たりしかありません』とヨナタンに訴え『新月祭の食事に欠席するので王の反応を確かめてもらいたい』と依頼する。新月祭の席で、サウルはダビデを愛するヨナタンにやりを投げつけた。親友に対する父の激しい殺意を悟ったヨナタンは、打ち合わせ通りダビデに合図を送り

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